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東京高等裁判所 昭和49年(う)2756号 判決 1978年5月31日

目  次

主文

理由

(事案の概要と争点)

(大菩薩峠事件)

第一、控訴趣意第二点及び第三点

一、抵抗権ないし超法規的違法阻却事由の主張について

二、爆発物取締罰則違憲の主張について

三、控訴趣意第三点の三(法令適用の誤り)の主張について

第二、控訴趣意第四点訴訟手続の法令違反の主張(被告人らの同補充書の記載を含む。)について

一、違法収集を理由とする証拠能力否定の主張(第四点の一ないし四)について

二、控訴趣意第四点の五刑訴法三二一条一項に関する主張について

三、控訴趣意第四点の六伝聞証拠の主張について

四、控訴趣意第四点の七審理不尽の違法の主張について

第三、控訴趣意第五点(被告人らの同補充書を含む。)事実誤認及びこれに付随した法令適用の誤りの主張について

一、爆発物取締罰則違反について

二、兇器準備結集・集合罪について

三、殺人予備について

四、被告人らの個別的事情について

(全事件)

控訴趣意第六点量刑不当の主張について

(結論)

被告人 松平直彦 外一三名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人一四名全員の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人三上宏明・同兼田俊明及び同弘中惇一郎連名作成名義の控訴趣意書並びに全被告人一四名連名作成名義の控訴趣意補充書(但し、四八ページ五行目から四九ページ二行目の「……だけである。」までを除く。)にそれぞれ記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官関野昭治作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

(事案の概要と争点)

所論に対する判断にさきだち、本件事案の内容を概観するに、原判決が認定した罪となるべき事実は、いわゆる「前段階的武装蜂起」の理論を掲げて過激な武力闘争を主張している共産主義者同盟赤軍派(以下「赤軍派」という。)に属するか、あるいはこれに同調していた被告人らにおいて犯した、いわゆる大菩薩峠事件、四四・四・二七、二八東京医科歯科大学事件、九・三〇西五反田派出所事件及び一〇・二一中野坂上事件からなる。

このうち、大菩薩峠事件は、被告人一四名全員が赤軍派政治局員塩見孝也ほか同派(これに同調する者を含む。以下同じ)学生ら四十数名とともに関与した兇器準備結集・集合、爆発物使用共謀ないし所持(一部被告人のみ)及び殺人予備の事案である。その概要は、各被告人により関与の形態・時間等に異同があるものの、被告人一四名において、共同ないし共謀して、昭和四四年一一月三日午後から同月五日午前六時ころまでの間、山梨県塩山市大字上萩原字萩原山四、七八三の一番地福ちやん荘こと雨宮昭三方(以下「福ちやん荘」という。)及び付近の原判示山中(以下「付近山中」という。)において、赤軍派の者多数で共同して同月七日早朝に当時の内閣総理大臣佐藤栄作の官邸を襲撃し、警備の警察官らの身体及び他人の財産に危害を加える目的で、そのための攻撃用武器として鉄パイプ爆弾一七本、ピース缶爆弾三個及び登山ナイフ三四丁の各兇器を準備して赤軍派の者多数を集結させ、また右準備を知つて集合し、その際、治安を妨げ、人の身体・財産を害せんとする目的をもつて爆発物である右各爆弾を使用することを赤軍派の者約四〇名と更に共謀し(被告人中野・同八木・同松平及び同大久保については、更に右の目的をもつて右爆発物を所持し)、また前記首相官邸襲撃にあたり警備の警察官らを殺傷することがあつてもやむを得ないとして、右襲撃計画に関する指示・説明・賛同及び訓練等をなし、もつて赤軍派の者約四〇名とともに殺人の予備をした、というものである。

このほか、右の東京医科歯科大学事件は、被告人中野が関与したものであつて、同被告人において、ほか多数の学生・労働者らとともに、昭和四四年四月二八日のいわゆる「四・二八沖縄デー」に際し、東京都千代田区霞が関一帯の政府中枢機関の実力占拠を企図し、同月二七日午後六時ころ、社学同系学生ら約三〇〇名と共謀のうえ、右企図実現の拠点として占拠すべく、東京医科歯科大学付属病院に侵入し、右約三〇〇名のほか、遅れて入つてきた中核派系及びML系の学生ら合計約二〇〇名と共謀のうえ、翌二八日午後四時過ぎころまで右病院の一部を占拠するなどして、その間同病院の診療を不能ならしめるなどした建造物侵入・威力業務妨害及びこれに関連した兇器準備集合・公務執行妨害の事案である。次に、右の西五反田派出所事件は、被告人松平及び同森が関与した強盗予備及び兇器準備集合の事案であつて、昭和四四年九月三〇日警視庁大崎警察署管内西五反田派出所を襲撃し、警察官から拳銃を強取しようとの企図のもとに十数名の赤軍派の学生らと共謀のうえ行なわれた、というものである。また、右の一〇・二一中野坂上事件は、被告人松平及び同森において、各一部に赤軍派の学生ら数名と共謀のうえ関与した兇器準備結集・集合及び公務執行妨害の事案であつて、昭和四四年一〇月二一日のいわゆる「一〇・二一国際反戦デー」に警視庁新宿警察署襲撃を企図して行なわれた、というものである。

論旨は、被告人らの控訴趣意補充書の記載を含め、多岐にわたり原判決批判を展開して、その破棄を求め、その理由として、大菩薩峠事件につき法令解釈適用の誤り、訴訟手続の法令違反、事実誤認及び量刑不当を主張し、その余の各事件については、量刑不当のみを主張する。

よつて、まず大菩薩峠事件の量刑不当以外の控訴趣意について、主張の順序に従い判断を加え、次に、全事件の量刑不当の主張について判断する。

(大菩薩峠事件)

第一、控訴趣意第二点及び第三点法令解釈適用の誤りに関する主張(被告人らの同補充書の記載を含む。)について

一、抵抗権ないし超法規的違法阻却事由の主張について

所論が理由を縷説して主張するところは、要するに、当時の内外の情勢によれば佐藤首相の訪米は絶対に阻止しなければならないものであつて、このことは赤軍派のみならず、新左翼、人民に共通した認識であつたから、被告人らの大菩薩峠への結集が仮に首相官邸襲撃企図の意味を持つものであつたとしても、それは、憲法の基本的秩序である平和的生存権・基本的人権・民主主義の擁護を目的としたものであり、当時の政治状勢・社会情勢の差し迫つた状況と、肥大化した治安弾圧政治に照らせば、手段としてもやむを得ないものであつて、正当な抵抗権の行使による適法行為と評価されるべきであり、仮に抵抗権の論理が容認されないとしても、超法規的に違法性が阻却されるべきものである。それにもかかわらず、被告人らの行為を違法とした原判決には、抵抗権ないし超法規的違法阻却事由に関する法令の解釈適用を誤つた違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかし、被告人らの大菩薩峠への参集が爆弾等の武器を使用して首相官邸を襲撃占拠することを目的としたものであることは、後記判示のとおりであり、これを、被告人ら赤軍派が自己の理論・戦略とする「前段階的武装蜂起」ひいては「世界革命戦争」の一環として意味づけていたことは、所論に徴しても否定しがたいところであつて、被告人らの行動が果して所論のように現行憲法秩序の擁護を目的としてなされたものであるか、甚だ疑わしい、といわざるを得ない。

もつとも、被告人らの行動に、佐藤首相訪米阻止が当面の主張として含まれていたことは否定しがたいところであり、佐藤訪米に反対すること自体は一つの政治的主張として他の意見と同様に尊重されなければならず、もとより、その是非は本来裁判所として判断すべき事柄ではないが、佐藤首相訪米阻止が当時の国民多数の共通した認識・評価であるとか、その阻止が国民に明らかに有利であつて、被告人らが本件の目的・動機とするところが絶対的に正しい唯一のものであるなどとは、直ちに認定し得ないところである。

このようにして、所論は、その前提とする事実関係について、すでに是認し得ないものがある。もとより被告人らが当時の政治情勢・警備状況・その歴史的・社会的背景等について概ね所論のように認識して本件に及んだことは窺われないではないが、叙上の諸点にかんがみても、被告人らの本件各行為については、後記判示によつても明らかな行為の性質・態様・程度などに徴し、法秩序全体の見地からみて到底容認されるものではなく、明らかに違法であるとの評価を免れないのであつて、抵抗権の行使を論ずる余地のないことはもちろん、いわゆる超法規的違法阻却事由その他行為を正当化すべき事由が存在するとは考えられない。

被告人らの本件各行為を違法とした原判決の判断は相当である。所論は独自の、かつ甚だ危険な見解であつて、到底採用の限りでない。

二、爆発物取締罰則違憲の主張について

所論は、要するに、(一)、爆発物取締罰則(以下「本罰則」という。)の形式的無効(憲法三一条・七三条六号但書各違反)及び実質的無効(憲法一九条・三一条・三六条・九八条一項各違反)の理由を縷説して本罰則が全体として違憲無効であると主張し、(二)、仮に本罰則が全体として違憲でないとしても、本罰則四条中の爆発物使用共謀罪の規定は、現行刑法の基本原則である共犯の従属性の原則を破るものであるほか、行為を処罰するという刑法の原則に反して、いまだ内心の領域の問題にとどまる共謀に関して、その内心の不法性のゆえに人を処罰するものであり、明らかに思想そのものを処罰するものであつて到底容認し得ず、また予備罪の処罰根拠である蓋然性や行為の定型性において極めて不明確であり、刑法の客観主義の原則に悖るものであるなどの理由によつて違憲であると主張し、よつて、本罰則四条を含めその全体を合憲・有効であるとして、本罰則三条・四条を適用した原判決には、本罰則の解釈・適用を誤つた違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、右(一)の全体違憲の所論については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項二・(二)において、その引用にかかる最高裁判所判決(昭和四七年三月九日第一小法廷判決・刑集二六巻二号一五一頁参照)の趣旨を参酌しながら、本罰則は「現行憲法下においても法律としての効力を保有しており、本件で適用される同罰則中の所持罪および同四条中の使用共謀罪の規定は、いずれも構成要件が不明確とはいえず、また爆発物の持つ大きな危険性に鑑みると、罪と刑との間に、立法府の裁量の範囲を逸脱するような不均衡があるともいえず、これらの規定を違憲・無効とすべき根拠は何ら存しない」と説示したところであつて、当裁判所もこれを正当として是認することができる。また本罰則三条・四条が人の思想内容を処罰する趣旨でないことは、その規定の文言に照らしても明らかであるから(なお四条について後述参照)、本罰則三条・四条に所論の違憲はなく、これらを合憲として適用した原判決には、所論の法令解釈・適用の誤りは認められない。

なお、右(二)の所論について更に考察するに、本罰則四条は、同一条の爆発物使用罪の共謀等を独立の犯罪類型として処罰の対象とするものであるところ、基本となる爆発物使用が法益に対する重大かつ広範な侵害ないし危険をもたらす行為であることにかんがみると、爆発物使用の陰謀段階にある一定の類型的行為をとりあげて処罰の対象とすることは、そのことじたい必ずしも不合理であるとはいえず、ひつきよう立法政策の問題であつて、憲法適否の問題ではない。また、いわゆる共犯従属性の理論は、立法的措置によつて予備ないし陰謀を独立の犯罪として処罰することじたいを妨げるものではないから、爆発物使用共謀を罰することが刑法総則規定の原則を破るとの所論の見解にも賛同することができない。

そして、爆発物使用共謀罪においては、二人以上の者が本罰則一条に掲げる目的で爆発物を使用し、または人に使用させることを企図して通謀合意することが処罰の対象とされるのであるから、ここにいわゆる共謀が犯罪の構成要件として明確性に欠けるとはいえず、しかも、それが人の内心ひいては思想そのものを処罰の対象とするものでないことも明らかであつて、憲法三一条・一九条等違反の問題が生ずる余地もない。右(二)の所論も理由がない。

三、弁護人の控訴趣意第三点の三(法令適用の誤り)の主張について

所論は、要するに、本件は、一般の軍事訓練としてなされた合宿・訓練であつて、首相官邸襲撃に向けられた具体的準備活動ではなく、また仮にそれに向けられたものとしても、予備罪の処罰根拠である実行行為に至る蓋然性が高い程度に達していなかつたものであるから、本件について、本罰則三・四条各違反、兇器準備結集、集合、殺人予備の各罪の成立を認めた原判決は、法令の解釈適用を誤つたというべきであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかし、福ちやん荘ひいては付近山中における被告人らの所為が単なる一般の軍事訓練ではなく、首相官邸襲撃占拠に直結したものであることは後記に認定・判示するとおりであるから、所論の一部は前提を欠き失当である。

また、原判決が成立を認めた所論の各罪が実質的に予備罪的性格を有するものであるとしても、その各罪が所論のいう「実行行為に至る蓋然性の高い」ことを直接の犯罪成立要件としているものと解することはできない。

のみならず、後記認定の事実関係に照らせば、被告人らの各所為が、数日後の首相官邸襲撃占拠という具体的目標を設定し、赤軍派組織の総力を挙げてその実現を意図していたのであつて、単なる机上計画の域を超え、その目標達成の蓋然性、結果発生の危険性ともかなり高度の状態に達していたことは明らかである。それゆえ本件につき所論の各罪が成立することは疑いの余地がない(なおこの点については後記第三において詳述する。)。

原判決に所論の法令解釈適用の誤りは認められない。

所論は採用の限りでない。

第二、控訴趣意第四点訴訟手続の法令違反の主張(被告人らの同補充書の記載を含む。)について

一、違法収集を理由とする証拠能力否定の主張(第四点の一ないし四)について

1、所論は、要するに、所論が控訴趣意書第四・一・(一)に引用する証拠物(以下「(イ)の証拠物」という。)は違法に捜索・押収されたものであるから証拠能力を否定されるべきであり、したがつて右(イ)のうちの鉄パイプ爆弾及びピース缶爆弾等についての鑑定結果を記載した警察庁技官久保光雅作成の鑑定書((ロ))、その鑑定の状況を司法警察員浜一夫が撮影した写真三三葉((ハ))、違法な捜索の状況及び右(イ)の証拠物などを撮影した写真を含む司法警察員折田秋人及び同阿部公哉作成の各現場写真撮影報告書((ニ))の各書面も証拠能力を否定されるべきであり、また所論が控訴趣意書第四・一・(五)に引用する一部被告人らの検察官に対する供述調書((ホ))及び同(六)に引用する被告人ら以外の者の検察官に対する供述調書((ヘ))は、いずれも違法な現行犯逮捕に続く違法勾留中に作成されたものであるから、これも証拠能力がない。しかるに、右(イ)ないし(ヘ)の証拠を罪となるべき事実認定の資料とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

2、しかし、記録を調査して検討するに、本件において所論の理由から右(イ)ないし(ヘ)の各証拠につき、その証拠能力を否定すべき事由は認められず、所論にかんがみ、当審における事実取調の結果を参酌しても、右の各証拠能力を肯定した原判決の認定判断に誤りは認められない。以下、その理由について主要な論点を中心に説明する。

(一)、事実関係

関係証拠(但し右(イ)ないし(ヘ)の証拠を除く。)によれば、被告人ら赤軍派の者が拘束・逮捕され、右(イ)の証拠物が押収されるに至つた経緯及び状況について、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項の一・(二)・(1)に認定判示したところは、当裁判所も相当として概ねこれを是認することができる。これによれば、その概要は、以下のとおりである。警視庁公安部では、昭和四四年一〇月末から一一月はじめにかけて、佐藤英秀警部(以下「佐藤警部」という。)が中心となり、赤軍派の動向を探つていたが、当時、赤軍派が一一月はじめにどこかで合宿訓練を行なうこと、佐藤首相訪米阻止のための具体的行動を計画していることなどの情報を得ており、一一月三日夕刻、福ちやん荘に赤軍派の学生らが相当数集合していることを探知し、地元山梨県警の協力を得て視察を継続したところ、翌四日付近の山中において赤軍派の者ら数十名で何か訓練をしているらしいこと、見張りを立てるなどしてその周囲を厳重に警戒しているらしいこと、爆発音とおぼしき音が聞こえたことなどが判明する一方、視察員が山中において赤軍派幹部である被告人中野(当時旧姓上野。以下、本項では単に「上野」という。)とすれちがい、間違いなく同人であることを確認した。佐藤警部は、現地での最高責任者として、右の各情報を検討した結果、すでに逮捕状の出ているいわゆる昭和四四年七月六日の明大和泉校舎における内ゲバ事件(以下「七・六内ゲバ事件」という。)で上野を逮捕することに決定したが、山中の地理や、植物の状況、赤軍派集団の動静等からみて、山中で上野一人の逮捕を無事に完了することは困難であるとの判断のもとに、福ちやん荘周辺での視察を継続し、当日夜上野が福ちやん荘に、他の赤軍派の者らと宿泊したことが明らかとなつたので、赤軍派の者ら(以下、福ちやん荘に参集した被告人らを含む赤軍派の者を「赤軍派集団」または単に集団という。)の抵抗による不測の事態を避けつつ上野の逮捕を完遂するには、翌五日早朝多数の制服警察官らを動員し、あらかじめ赤軍派集団に気づかれないようにして、福ちやん荘に踏み込んで行なうのほかないということになつた。その後、集団の中には、すでに逮捕状の出ている者もいる蓋然性が高いということで、被告人松平らの逮捕状約一〇通を取り寄せて準備し、私服警察官約一〇〇名と制服警察官二〇〇余名が動員され、佐藤警部の指揮により、五日早朝福ちやん荘へ向かい、上野逮捕及びこれに伴い他に逮捕状の出ている者がいれば、その逮捕を行ない、あわせてこれらの逮捕に伴う捜索・差押を行なうこととなつた。

一一月五日午前六時ころ、右警察官らの部隊は福ちやん荘の外周を包囲し、同六時五分ころ、佐藤警部らが同荘の管理人雨宮昭三に対し上野の逮捕状を示して事情の説明をはじめたが、その最中に一部の者が、気づいて逃走しようとしたのか、同荘内から激しい物音がしたため、制服警察官が、逃走防止のため、すぐ踏み込み、前日までに下山した者を除く赤軍派集団の全員を、ほとんど寝ていたままの姿で同荘の外の庭に連行し、周囲を制服警察官が取り囲み、ほとんど全員に対し、両手を首の後ろに上げさせたりした。そして、午前六時一五分ころまでの間に上野のほか、被告人松平ら三名くらいについて逮捕状の執行がなされ、その間、捜索担当の警察官らが、福ちやん荘の集団が使用していた部屋全部を捜索したところ、爆弾かと思われる鉄パイプや試験官・ピース缶のほか、合計約四〇本の登山ナイフ・くり小刀等が発見されたうえ、いまだ封をしていない封書十数通が見つかり、その内容をみると、死か逮捕あるのみというようなことが書かれ、遺書的内容のものが多く、これらのほか部隊編成を記載したらしいメモや救援対策メモもあり、佐藤警部はこれらの物を直接見たり、部下の報告で内容を了知しつつ、前示の事前に得ていた赤軍派に関する情報をも勘案しつつ、集団全員を兇器準備集合の現行犯人として逮捕するかどうかをしばらくの間考慮し、その結論が出るまでの間、これらの者に対する包囲を継続することとし、午前六時二五分ころ、右の集団が、登山ナイフ等を持つて直ちに首相官邸襲撃に進撃しようとしていることが明らかであるとの判断のもとに、その全員を兇器準備集合の現行犯人として逮捕する旨の決断を下し、その旨他の警察官らに指令し、その後まもなく、全員が現行犯逮捕された。右指令と同時に、福ちやん荘における捜索も右現行犯逮捕に伴う捜査に切り換えられ、前記の鉄パイプ等多数の証拠物件が押収されるに至つた。

(二)、原判決の法律判断

原判決は、右の事実関係などを前提として、赤軍派集団の身柄拘束ないし逮捕・捜索ないし押収の適否につき詳細な法律判断を示しているのであつて、その要旨は、

(1)、一一月五日早朝の警察部隊の福ちやん荘への踏み込みが、上野の逮捕に名をかりたものであるとはいえない。もつとも、佐藤警部らは、上野逮捕に伴い、同時に赤軍派集団の動向の把握もできるだろうと考えていたものと思われるが、そのことゆえに、当時の警察部隊の行動を違法もしくは不当視することはできない。

(2)、警察官が集団の全員を福ちやん荘の外に連れ出して庭に立たせ、これを包囲するなどした措置は、逮捕に近い身柄拘束であつて、佐藤警部が証言するように任意手段とみることはできない。

(3)、しかし、右の身柄拘束は、上野逮捕の際に発生が予測される妨害を事前に予防するため、逮捕状による逮捕に随伴する強制手段として、法が当然に予定し、許容しているものであつて、適法である。

(4)、佐藤警部も、事前の妨害予防措置をとるという意識も、すくなくとも潜在的には有したものと認められ、具体的にとられた措置に若干の行き過ぎが認められるが、事前の妨害予防に必要最少限度の範囲を逸脱していない。

(5)、当初の捜索について、佐藤警部らは、上野逮捕に伴うものとして実施した旨証言しているが信用できない。しかし刑訴法二二〇条一項二号の捜索・差押は逮捕者の身の安全を確保するためにも許されるし、そのための兇器の捜索は、上野を含む赤軍派集団が直前まで支配していた部屋のすべてについて許される。佐藤警部らにも潜在的には右の趣旨で捜索を実施する意識があつたし、本件では、かかる捜索を実施すべき相当の根拠と緊急の必要性が肯認できるから、当初の捜索は適法である。

(6)、証拠物の発見と現行犯逮捕との間に若干の考慮時間があり、その間も身柄拘束状態が継続しているが、すでに兇器となりうる物が発見されており、右(3)の強制力行使の必要性が継続しているうえ、現行犯逮捕に極めて接着したその準備的段階においては、この程度の自由の束縛は許される。

(7)、現行犯逮捕に至る経緯中に、若干不当な点は認められるが、逮捕自体を違法とすべきほどの事情はないから、違法収集証拠排除の主張は前提を欠く

というのである。

そこで、右(一)の事実関係を前提にして、当時の警察官の行動の適否ひいては原判決の右法律判断の当否につき考察を進める。

(三)、七・六内ゲバ事件による上野逮捕の適否

弁護人は、原審以来、本件は上野に対する七・六内ゲバ事件の逮捕状執行に名をかりた別件身柄拘束に端を発したものである、と強調する。

しかし、関係証拠によれば、上野に対する七・六内ゲバ事件逮捕状の被疑事実の要旨は、赤軍派の幹部である上野において、昭和四四年七月六日明治大学和泉学舎の学館で反対派に対抗して、約一〇〇名の自派学生とともに、樫棒などを準備した兇器準備集合及び右反対派の議長に重傷を負わせた傷害の事案であり、当時、赤軍派は正式の結成を前にして事実上組織化されていて、右内ゲバ事件も赤軍派集団による組織的犯罪であり、上野は赤軍派の幹部で組織上の重要人物であつたことが認められる。これによれば、右内ゲバ事件は、けつきよく起訴されるに至らなかつたものの、決して軽微な事件とはいえず、かつ上野逮捕の必要性があつたことは明らかであり、しかも、右(一)で判示したように、逮捕状じたいはすでに発付されていて、ことさら本件のために請求して発付を受けたものではないのである。

また、逮捕状の執行時間、執行場所の選択・決定など執行の方法については、被疑者や関係者の人権等に配慮すべきは当然であるとしても、原則として、逮捕の確実性・逮捕者の安全・被疑事実の軽重・事案の性格等諸般の事情を考慮して、捜査官が合理的裁量により決定すべき事柄である。本件において佐藤警部は前記(一)に認定した理由から上野に対する右逮捕状を五日早朝、福ちやん荘で執行しようと決定し、その執行に踏み切つたもので、右の理由は十分に首肯できるから、逮捕状の執行方法について裁量を誤つた違法・不当のかどは全く認められない。

(四)、上野逮捕に伴う捜索の適否

佐藤警部は、原審公判において、福ちやん荘における当初の捜索は、上野逮捕に伴うものとして、その逮捕に先行し、逮捕状の被疑事実である前記内ゲバ事件の証拠の発見を念頭において、これを実施した旨証言している。これに対して原判決は、「四か月も以前の、場所も全く異なる内ゲバ事件の証拠物が福ちやん荘に存在する蓋然性は、極めて小さいとみられるのであつて、そのまま信用しがたい」と判断している。

たしかに、右内ゲバ事件に使用された兇器などが福ちやん荘で発見される蓋然性の極めてすくないことは原判示のとおりである。しかし、前示のように右内ゲバ事件は赤軍派の集団による組織的犯罪であるから、その組織の実態を把握することは、事件関係者を発見し、ひいては上野の犯行関与の態様を解明するうえにも有力な手掛りとなるところ、赤軍派の幹部でもある上野が相当数の同派集団と行動をともにし、同宿している以上、そこに組織の実態を知るメモ類等の資料が存在する蓋然性もないとはいえず、現に本件では、赤軍派内の人的構成等を知るための有力な資料ともいうべきメモ類が多数押収されているのである。

また、福ちやん荘における当初の捜索が、証拠の発見だけを目的としたものではなく、上野のほか逮捕状の用意されていた被疑者らの捜索(刑訴法二二〇条一項一号)をも意図していたことは、佐藤警部の原審証言によつても明らかであり、また当然のことながら、逮捕の際の通例として、また後記(五)に詳述するように、逮捕者の安全確保のために、兇器類の有無を確認する趣旨・目的をも含んでいたことは否定しがたいところである。

なお、所論は、本件においては別途に捜索差押許可状の請求手続を履践することができないほどの緊急性はなかつた、という。しかし、刑訴法二二〇条が、被疑者を逮捕する場合に必要があるときは、令状によらないで捜索差押等ができるものとしたのは、このような場合には別の令状によらなくても、人権の保障上格別の弊害もなく、かつ捜査上の便益にも適うためであつて(最高裁判所昭和三六年六月七日大法廷判決、刑集一五巻六号九一五頁参照)、右規定の文言からみても、所論の如き緊急性が要件とされているものとは解されない。また、憲法三五条一項にいう「第三十三条の場合」とは現行犯逮捕を含め、およそ令状主義に適つた適法な逮捕がなされるすべての場合を含むものと解されるから、刑訴法二二〇条が所論の緊急性を要件としなかつたからといつて、憲法三五条の令状主義に抵触するおそれはない。右の所論は、刑訴法二二〇条に関する独自の解釈に基づくものであつて到底採用することができない。

更に、所論は、本件当初の捜索は刑訴法二二〇条一項所定の、いわゆる「逮捕する場合」の要件ないし制限を時間的にも場所的にも逸脱している、と主張する。しかし、時間の点については、右の「逮捕する場合」とは、捜索が逮捕時間に接着している限り逮捕の前後を問わないと解すべきであつて、前記(一)で認定した事実関係に照らせば、右当初の捜索が逮捕に接着した時間になされていることは極めて明白である。

また、捜索場所の点については、右の捜索は後記認定にもあるように、福ちやん荘内の集団が宿泊した部屋の全部及び使用した場所について実施されているが、山小屋としての構造上、各部屋の独立性が少なく、共用部分が多いこと、前記(一)でも認定したように、赤軍派の幹部である上野が相当数の赤軍派学生らと行動をともにして、福ちやん荘に集合・宿泊していたことなどの事情が認められる本件においては、右の捜索実施部分のすべてが逮捕に接着した場所すなわち、いわゆる逮捕の現場に該当すると解すべきである。よつて右の捜索は場所的範囲の点においても適法であつたといわざるを得ない。

いずれにしても、本件の当初の捜索が刑訴法二二〇条の要件を具備しない違法のものとは認められない。

このようにして、右の当初の捜索は、その目的は正当であり必要性も十分に肯定できるのであつて、しかも証拠上、その捜索に関する処分の違法・不当を窮わせる状況は何ら存しない。したがつて、これが上野ら逮捕に伴う捜索に籍口してその実本件(兇器準備集合等)の捜査をめざした、いわゆる別件捜索であると解することはできない。

(五)、現行犯逮捕に先行した自由制限の適否

(1)、前示のように原判決が、現行犯逮捕に先行して集団の全員が身柄を拘束されたと認定しながら、これを適法と判断したことについて、所論は、概ね、次のように主張して原判決の右判断を論難する。

(イ)、右の身柄拘束は法律上の根拠を欠く違法なものであるのに、これを適法とした原判決の判断は、憲法三一条・三三条・刑訴法一九九条の解釈適用を誤つたものである。

(ロ)、仮に右の事前拘束が許される場合があるとしても、本件においては、その要件は充足されておらず、警察官らもその趣旨で身柄を拘束する意思はなかつた。

(ハ)、本件では、当時の警察官の人数・装備をもつてすれば、逮捕された上野を直ちに護送することは十分可能であつたから、遅くとも、上野逮捕の完了をもつて、右のような全員の身柄拘束や、逮捕者の身の安全確保のための捜索などの必要性は消滅した。それ以後の身柄拘束ないし捜索が違法であることは一層顕著である。

(2)、たしかに、通常逮捕状を執行するに際し、同逮捕状の効力として、被疑者以外の者すなわち第三者の身柄拘束が許されることを法律上直接明示した規定は見当らない。しかし、第三者によつて被疑者に対する逮捕状の執行が妨害されるおそれがあり、とくに、逮捕状の執行に従事する捜査官の生命・身体に危害が加えられるおそれがあつて、右の捜査官において右のおそれがあると判断するについて相当な理由がある場合には、緊急やむを得ない措置として、逮捕状の執行に必要かつ最少の限度において、相当と認める方法により一時的に右の第三者の自由を制限することができると解するのが相当である。けだし、刑事訴訟法が逮捕状の執行という強制措置を認めている以上、これに対する妨害の予防ないし排除のために、右の程度の緊急措置は刑事訴訟法ないし警察官等の職務執行に関する法によつて当然に予定し、是認されているものと解すべきであり、このように解する以上、かかる強制手段の対象から第三者を除外すべきいわれはないからである。

(3)、これを本件についてみるに、関係証拠によれば、赤軍派は、いわゆる「前段階的武装蜂起」の理論を掲げる過激な武力闘争を主張しているものであつて、本件以前の昭和四四年九月ころ以降においても、いわゆる大阪戦争・東京戦争と称して各地の警察署・派出所等の襲撃を反復し、時に武器の奪取を図り、同年一〇月二一日には、いわゆる中野坂上事件に関連して、不発に終わつたもののピース缶爆弾三個の使用が試みられたこと、その後東京薬科大学で鉄パイプ爆弾二〇本位が発見されたこと、これらの事実は、前記(一)で認定した赤軍派の動向に関する情報とともに、本件当時すでに佐藤警部らにおいて把握していたことなどが認められる。その佐藤警部らにおいて、更に前記(一)で認定したように、幹部を含む相当数の赤軍派学生らが福ちやん荘に集合したことを知り、四日には山中で訓練らしいものがあり、また爆発音とおぼしき音を聞いたという捜査員の報告を受けていたうえ、五日午前六時五分ころ福ちやん荘の管理人に逮捕状を示して事情の説明をはじめたときに、同荘内から赤軍派集団によると思われる激しい物音に接したことなどから、その時点で、集団の者が逮捕状の執行を妨害するため、警察官に危害を加えるおそれがあると判断するについては、相当な理由があつたことは明らかである。なお、このことが単なる杞憂でなかつたことは、四日の夜被告人松平が赤軍派の一員である楠俊夫に対し「私服が下に来ているらしい。今晩は大丈夫だろうが、もしあした私服が来て人数が少なかつたらナイフ等を使つて一戦やつて逃げよう」と話していたこと(楠俊夫の検察官に対する昭和四四年一一月一九日付供述調書謄本一二項)、集団の一員である大川保夫において「私としてはもし警察官が山荘を襲つて来た場合、これらの武器を使用して警官隊と一戦を交えるつもりでいたし、おそらく他の者も同じようなつもりだつたと思います」と供述していること(同人の検察官に対する昭和四四年一一月一六日付供述調書謄本一〇項)などに徴しても明らかである。

したがつて、佐藤警部らにおいて、上野逮捕が完了し、かつ右のおそれが消滅するまでの間、集団全員の自由を一時的に制限し、かつ上野らの逮捕状による逮捕に伴う前示の捜索を、必要な限度内で続行することが許されていたものということができる。

(4)、また、現実にとられた措置についてみるに、これが任意手段とみられないことは原判示のとおりである。しかし、その態様は前記(一)で認定したとおりであるが、福ちやん荘の外に連れ出して包囲すること自体は兇器から赤軍派集団を引き離す意味においても適切であつたといえる。また、関係証拠によれば、当初この集団と無関係の宿泊者である千葉大学の学生らも警察官の包囲網の中に入れられたが、同人らの抗議によりすぐに包囲網の外に出され、また赤軍派の者についても、一たん外へ連れ出したのち、一人一人荘内に連れ戻して、着替えなどをさせていることが認められるのであつて、自由が制限された時間も現行犯逮捕されるまでのせいぜい二〇分以内に過ぎなかつたことが明らかであるから、右の自由制限措置は、逮捕状執行の妨害予防ないし排除の措置としてなされたとしても、必要かつ最少限度内のものであり、手段としても相当と認められ、いまだ前示の基準を逸脱していないと解するのが相当である。

なお、上野らが逮捕されたとしても、場所は車両の通行も十分でない山中のことであり、その時点で集団の包囲を解けば、同集団において、兇器を用いるなどして被逮捕者奪還の挙に出ることも十分に予想できることであり、たとえ奪還が成功しないまでも、護送に従事する警察官に危害を加えるおそれのあつたことは明らかであるから、福ちやん荘内の捜索により兇器の有無を確認し、兇器が発見された場合には、これに対する処置が完了するまで、すなわち本件では兇器準備集合罪により現行犯逮捕に至るまで引き続き前示の自由制限を継続することが許されていたものと解すべきである。

もつとも、佐藤警部は、原審公判証言において右自由制限の点につき、この警察活動は上野逮捕のため、全員の逃走を防止して面割りをしたり、上野の所在を質問しようと思つてしたものであると供述しているのであるが、その供述の信用性の問題はさて置くとして、右(3)以下の事情が是認され得る本件においては、右の自由制限は、これに引続いてその対象者を現行犯逮捕したからといつて、その現行犯逮捕の効力に消長を及ぼすような事情とはならないと解するのが相当である。

(六)、現行犯逮捕及びこれに伴う押収の適否

この点に関する所論は、原判決が「佐藤警部が午前六時二五分ころ現行犯人として逮捕する旨の決断をした」と認定しているが、その時点において、現行犯逮捕の資料とした加害目的認定の証拠品はほとんど発見されていなかったから、本件の現行犯逮捕は現行犯人の要件を欠く違法のものである、というのである。

しかし、佐藤警部が兇器準備集合罪による現行犯逮捕を決断し、指示するに至つた経緯については、前記(一)で認定したとおりであつて、これは主として佐藤警部の原審公判証言によつて認められるところ、この点に関する同証言は優に信用することができる。

なるほど、証人玉井修治は、原審公判において、ほか五名の警察官とともに、福ちやん荘二階の捜索を担当したが、午前六時一五分に着手した捜索において、着手後約五分くらいの間に、鉄パイプ類・試験管・ピース缶・登山ナイフ・手斧・メモ類・封書などが発見されたが封書の中味は見ていない旨供述している。また、証人石堂宰も原審公判において、ほか五名の警察官を指揮して午前六時一五分ころから福ちやん荘一階の捜索を実施したが、一階で押収されたカストロ帽・くり小刀・封書・救援ノートなどは、いずれも午前六時二五分以降において発見された旨供述している。しかし、右玉井も、封書の中味について、私以外に見た人があるかもしれないと供述しているのであつて、玉井証言が佐藤警部の右証言に抵触するものとは思われない。また石堂証言については、同人を含め六名の警察官が捜索を実施しながら、捜索開始後一〇分くらいの間に何ら証拠品が発見されなかつたというのは、右玉井証言にある二階の捜索進行状況と対比しても、甚だ不可解であつて、この点に関する右の供述は、たやすく信用することができない。

他方、佐藤警部は、原審公判において、福ちやん荘の捜索では、二階の責任者は中村近史警部であつて、玉井はこれを補助する立場にあつたこと、一階の責任者は尾崎孝元警部であつて、石堂はこれを補助する立場にあつたこと、佐藤警部自ら二階に上つて、玉井の右供述にもある証拠品を点検し、これまでの経験から鉄パイプ爆弾やピース缶爆弾に間違いないと直感し、更に階下に下りて、尾崎警部からくり小刀八丁などの証拠品が発見された旨の報告を受け、封書の内容も、一部は自分で閲読するなどして、全員を兇器準備集合罪の現行犯人と断定するに至つた旨、前記(一)の認定に添う供述をしているのであつて、この供述は具体的であり、その信用性に疑いを入れる余地はない。

以上のようにして、佐藤警部は、上野逮捕に伴う捜索(それが適法であることは前記(四)に詳述した)によつて発見認識した物件と、これを含む四囲の状況に基き、本件が兇器準備集合の現行犯にあたると判断し、全員逮捕を決意したことが明らかであり、すでに検討した関係証拠によれば、右判断は相当であるから、本件現行犯逮捕には、認定資料の点においてもその要件に欠けるところはない。また、右捜索は直ちに現行犯逮捕に伴う捜索に切り替えて続行され前記(イ)の物件等が押収されたことは前記2・(一)認定のとおりであり、右各手続についても、これを違法不当と解すべき事情は証拠上何ら認められない。

なお本件現行犯逮捕に先行する自由制限が右現行犯逮捕の効力に消長を及ぼさないことは、前記(五)の末尾に説示したとおりである。したがつて、右現行犯逮捕はすでに存在した違法な拘束状態と一体をなしその継続としてなされた点においても違法であるとの所論もまた理由がない。

3、以上要するに、たとえ違法収集証拠排除の理論が容認される場合があるとしても、被告人らに対する現行犯逮捕及びこれに伴う捜索差押を違法とすべき事由はなく、もとより前記(イ)ないし(ヘ)の証拠について、収集手続の面からみてその証拠能力を否定すべき事由は何ら認められないのであつて、所論は失当である。

二、控訴趣意第四点の五刑訴法三二一条一項に関する主張について

1、所論は、要するに、原審は前記一・1の(ヘ)の検察官に対する供述調書を刑訴法三二一条一項二号前段または後段により証拠として採用しているが、これら各供述調書は、仮に違法収集証拠でないにしても、以下の理由により証拠能力がないから、これを犯罪事実認定の資料にした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

2、刑訴法三二一条一項二号違憲の主張

まず、所論は、刑訴法三二一条一項二号前段及び後段の規定は、いずれも憲法三七条二項前段に違反して無効であると主張する。

しかし、憲法三七条二項が「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ」ると規定しているのは、裁判所が職権により、または当事者の請求により喚問した証人につき、反対尋問の機会を充分に与えなければならないという趣旨であつて、被告人に反対尋問の機会を与えない証人その他の者の供述を録取した書類を絶対に証拠とすることが許されないとし、ひいては、これに証拠能力を付与することを禁止しているものではないと解するのが相当である。したがつて、刑訴法三二一条一項二号が一定の要件のもとに、いわゆる検面調書を証拠とすることができる旨を規定しているからといつて、それが憲法三七条二項に違反しているとはいえない(刑訴法三二一条一項二号前段につき最高裁判所昭和二七年四月九日大法廷判決・刑集六巻四号五八四頁、同号後段につき同裁判所昭和三〇年一一月二九日第三小法廷判決・刑集九巻一二号二五二四頁各参照)。

3、刑訴法三二一条一項二号の運用違憲の主張

次に所論は、刑訴法三二一条一項二号の規定が憲法三七条二項前段に違反するものでないにしても、「現実に裁判所がなしている運用の実態は結局のところ無制約に証拠能力を認めており、いわば運用の面において憲法三七条二項に違反している。」と主張する。

しかし、所論にいう運用面における違憲の主張は、その見解自体直ちに左担しがたいものである。加えて、原審における右(ヘ)の各検面調書採否の経緯についてみるに、記録によれば、検察官は、昭和四九年八月一五日付証拠申請書に基づき右(ヘ)の調書(供述者大川保夫及び同五十嵐哲世の分を除く)を含む検面調書を刑訴法三二一条一項二号後段該当の書面として、また同年一〇月三日付証拠申請書に基づき、右(ヘ)の調書のうち、大川保夫及び五十嵐哲世の各検面調書(四通)を同法三二一条一項二号該当の書面としてそれぞれ取調請求したこと、これら各請求にあたつて、検察官は、全調書につき個別に刑訴法三二一条一項二号の要件、とくに、いわゆる実質的相反性及び特信状況が具備されていることを具体的に説明していること、これに対して弁護人は、右八月一五日付申請分につき同年一〇月一九日付書面で、また、木村剛彦及び五十嵐哲世の各検面調書につき原審第三三回公判における陳述などによつて各調書につき個別に詳細な反論を試みたこと、原審は、右各調書の供述者をすべて証人として喚問して、一部に宣誓ないし証言を拒絶した者があつたとはいえ、原供述である検面調書の作成状況ないし供述記載内容につき弁護人及び被告人らに十分な反対尋問の機会を与え、また右各検面調書の提示を求めたうえ、第三〇回以降の公判期日において、検察官請求分のうち一部を却下して、その余を採用し、なお採用分についても、大半は項目を一部に限定し、その余は却下の措置を講じていること、右(ヘ)の各調書はこのようにして採用された調書の一部であることの各事実が認められる。これによれば、原審は、検察官及び弁護人の意見を聴き、慎重な審理・検討を経たのち、右の証拠採否に至つたものであることは疑いの余地がない。原審が右(ヘ)の各調書につき刑訴法三二一条一項二号に該当すると判断した理由は記録上明らかにされていないものの、原審が検面調書の証拠能力を無制約に認めたものでないことは明らかである。原審訴訟手続に所論の違憲・違法はなく、所論は採用の限りでない。

4、刑訴法三二一条一項二号該当の有無

(一)、綜合的考察

所論は、理由を縷説して、右(ヘ)の各調書は刑訴法三二一条一項二号の要件を具備していないと主張する。そこで木村一夫ほか二一名による右(ヘ)の各検面調書と同人らの原審公判(公判調書中の供述記載を含む。)及び公判準備における各供述(以下、これらを合わせて単に「原審証言」という。)を対比しつつ、検討する。

まず、原審で証人として喚問されながら、宣誓ないし証言の全部を拒絶した者の検面調書については、刑訴法三二一条一項二号前段により証拠能力が肯定されることはいうまでもない。その余の検面調書については、一部に前段書面に該当すると解されるものもあるが、なお慎重を期してそのすべてにつき、二号後段の要件の有無を考察する。

まず所論は、刑訴法三二一条一項二号後段にいう「実質的に異つた供述」とは「相反する供述」に準ずる程度に相当異つた供述で、要証事実に対し異つた認定をきたす蓋然性のある場合とされているところ、本件の場合には、「ほとんど若干の詳細さとニユアンスに差異があるだけで」、相反性ないし実質的相反性はない、と主張する。しかし、右後段にいう「実質的に異つた供述をしたとき」、すなわち、いわゆる実質的相反性とは、他の証拠とあいまち要証事実に対する心証形成に影響を及ぼすおそれがある程度に異つた供述をしたときをいうと解するのが相当である。そして記録によれば、原審は前記3で認定したように、右の点を含む証拠能力の要件について慎重な審理・検討を重ねたうえ、前記(ヘ)の各検面調書につき相反性ないし実質的相反性のあることを肯認したものと認められるところ、更に右の基準に照らし仔細に検討を加えたが、けつきよく原審の右認定は相当であつて、当裁判所もこれを是認することができる。所論は、その前提となる実質的相反性の解釈についても直ちに賛同しがたいものがあつて、いずれにしても結論において採用することができない。

次に所論は、「前の供述を信用すべき特別の情況」すなわち、いわゆる特信情況が本件では認められない、という。しかし、記録によれば、右(ヘ)の各検面調書は、いずれも所定の形式に欠けるところはなく(前田祐一の調書につき後述)、事件後間もなくか、遅くとも数か月後の記憶が比較的鮮明な時期に作成されたものであるのに対し、各供述者の原審証言は、事件後相当期間を経過したのちのものであつて、現に記憶の不鮮明な点が数多く見受けられる。また、各供述者は、被告人らと同一の組織(赤軍派)に所属し、または、これに同調していた者であつて、被告人らの面前において、その不利益な事実に関する供述を回避し勝ちであることは、むしろ自然の成り行きともいえるのであり、現に多くの供述者について、その兆候を看取することができる。

原審裁判所もまた、以上のような諸事情をふまえて、みずから証拠調を実施し、各調書・証言の内容・証拠としての成立事情等を仔細に検討審査して右の特信状況を肯認しているのであつて、記録を調査しても、原審の右認定判断に格別の誤りがあるとは認められず、当裁判所も、これを是認することができる。

また、これら検面調書の一部には、供述者が起訴された後に作成されたものも見受けられるが、そのゆえをもつて、被告人らに対する関係において、その供述調書が証拠能力を否定されるべきものとは解されない。

(二)、個別的考察

なお、右の各要件につき、各検面調書について逐一検討したところを付言すれば、以下のとおりである。

(1)、木村一夫

木村は、原審においては尋問に対し、覚えがないなど曖昧な供述をすることが多く、他方、検察官には素直に述べたことを肯定する証言をしている。

なお、上野こと被告人中野が木村に対し、同人が捜査段階で自供したことから検察側証人として出廷したことについて、暗にこれを非難する趣旨の発問をしている点も看過することができない。

(2)、前田祐一

前田は、首相官邸襲撃の兵站部門を担当し、福ちやん荘の集団に参加しなかつたものであるが、原審において、検察官の質問に対し、他に影響を及ぼす事柄については供述しないとして、主要な事項について証言を拒否し、なお、検察官には正直に述べたつもりであると証言している。

なお、同人の前示各検面調書にある署名押印について、これが本人のものであるかどうかを証言時に証人に直接確認していないことは所論のとおりであるが、これが真正であることは、その証言内容に照らしても疑うべき余地はない。

(3)、金子日出男

金子は、高校生として犯行に加わつた者であるが、原審において、事件については覚えていないなど曖昧な供述をして弁護人からも「記憶が非常にあいまいな点が多過ぎる」と指摘されているほどであり、供述を回避しようとしていることは明らかである。また、検察官には知つていることを述べた旨証言している。

(4)、鹿志村義次

鹿志村は、原審証言時、すでに本件による懲役三年・四年間執行猶予の有罪判決が控訴することなく確定していたもので、証言の冒頭から事件に関して供述することを躊躇し、けつきよくは曖昧な供述を繰り返していることが認められ、取調状況に関する弁護人の詳細な反対尋問にもかかわらず、言外に検面調書の供述記載の真実性を肯定していることが認められる。

(5)、西田政雄

西田は、原審証言時、すでに本件による刑の執行を受けていたが、検察官の事件に関する主尋問には、全面的に供述を拒否し、弁護人の反対尋問にも、ある程度の答えをしているに過ぎない。

(6)、武田充

武田は、原審において、検察官の取調の際に述べた方が大体において記憶もより正確で正しいと証言している。

(7)、荒木久義

荒木は、原審証言時に、すでに本件による懲役三年・四年間執行猶予の有罪判決が確定していたもので、よく判らない、覚えがないなど曖昧な供述を繰り返し、なお、検察官には政治的効果を狙つて出鱈目を述べた旨弁解しているが、この弁解自体曖昧であるうえ、同人の検面調書を点検しても、事実関係の供述記載に右弁解のふしは全く窮われない。

(8)、松岡義三

松岡は、原審証言時に、すでに本件による有罪判決が確定していたもので、殺人予備の点を除けば右の判決に不服はなかつた旨供述している。また、同人は、覚えがないと答えることが多く、検察官には有りのままを述べたと証言している。

(9)、酒井隆樹

酒井は、原審第一回公判で宣誓及び証言の一切を拒否している。もつとも、同人は検面調書採用後の原審第四一回公判において弁護人申請の証人として出廷し、証言に応じているが、本件において、このことが、一たん採用された検面調書の証拠能力に消長を及ぼすものではない。

(10)、河上清

河上は、原審で検察官には有りのままを述べた旨証言している。なお、その際、被告人森は、河上に対する反対尋問のなかで、質問の前置きとして、同人が捜査段階で自供したことに圧力をかけるつもりはない旨わざわざ発言していることが認められるが、この点は、いささか奇異の感を免れず、言葉通りに受け取れないものがある。

(11)、楠俊夫

楠の原審証言は甚だ弁解的であり、検察庁での取調状況に関する供述も、警察段階におけるものと混同しており、供述の経過に照らしても信用しがたい。

(12)、大桑隆

大桑は、原審において、はつきり覚えていないと曖昧な供述を繰り返し、殊に共犯者のことについては供述を回避しているふしが窮われる。検面調書の供述記載は「ほとんど間違つてない」と証言している。

(13)、木村剛彦

木村は、福島医大学生のとき、梅内恒夫・阿部憲一らとともに、本件鉄パイプ爆弾の製造に関係した者で、原審証言時、すでに懲役三年・三年間執行猶予の有罪判決が確定していて、検察官に事実を曲げて供述したことはなく、その当時の方が記憶も正確であつた旨証言している。所論も、右の検面調書については具体的に言及していない。

(14)、小手森秀夫

小手森は、高校生のとき福島地区少年グループの一員として本件に関与し、家庭裁判所で保護観察に付された者であり、原審が福島地方裁判所で実施した公判準備期日に同じく右のグループから本件に参加した後記佐久間信夫及び山口雄三らとともに証言に応じたのであるが、その証言中、捜査段階における取調状況について、右の両名らとほぼ同旨の弁解をして意に添わぬ供述を強いられた旨供述をしているものの、一方では事件について「忘れよう忘れようと思つたんであんまり覚えてません。」、「わかりません。」などと曖昧な供述に終始し、検面調書にある自己の署名押印すら率直に認めようとしないのであつて、これらの証言経過にかんがみても、右の弁解を信用することはできない。

(15)、佐久間信夫

佐久間は、証人尋問の冒頭で階級裁判だから証言を拒否するとの意向を強く表明し、その後説得されて応じた証言のなかで捜査段階における取調状況について所論に添う供述をしているのであるが、自供の責任を回避しているふしが見受けられるなかにも、検察官に意識して嘘は言つていない旨証言している。

(16)、山口雄三

山口は、原審証言時、すでに本件による懲役三年・三年間執行猶予の有罪判決が控訴することなく確定していたもので、証言中で捜査段階における取調状況につき所論に添う供述をしているのであるが、保釈出所後に作成された昭和四五年二月五日付検面調書でも、前に検察官に供述したことは間違いない旨供述している。他方、証言では、事件について、ほとんど「忘れた」、「覚えていない」、「はつきり記憶していない」と供述するに終始している。

(17)、武藤光政

武藤は、原審証言時、すでに本件による懲役三年・三年間執行猶予の有罪判決が確定していたもので、事件について「覚えていない」、「忘れた」と曖昧な供述に終始して証言を回避する傾向が認められ、他方、捜査段階における取調状況について所論に添う供述をしているものの、自供の動機につき、清算するつもりで黙秘を解いたことを不承不承認めている。

(18)、上条史夫

上条は、原審で、証言が検面調書の記載と異なつているところは、検面調書で述べた方が正確である旨証言している。

(19)、中尾真

中尾は、原審で「覚えていない。」、「忘れた。」と供述するに終始し、検察官には嘘は言つていないし、供述を強要されたこともなく、供述をしたとおりのことを調書に記載してもらつた旨証言している。

(20)、劉世明

劉は、原審供述時に、すでに執行猶予の有罪判決を受けていた者で、警察における取調の際に、刑事から入管法(注・出入国管理令)二四条を示されて送還をほのめかされたが、検察官には記憶に基づいて正直に話した旨証言している。

(21)、五十嵐哲世

所論は特に言及していないが、五十嵐は、原審で検察官には記憶にあることは記憶のとおり話したと思う、と証言している。

(22)、大川保夫

大川は、原審で宣誓に応じたものの、本件に関する供述を一切拒否し、なお、検察官の取調に対しては、有りのままを述べ、読み聞けを受けたが訂正すべき点はなく、調書に署名押印した、強制拷問はなかつた旨証言している。

以上説示のとおりであるから、所論指摘の各検面調書は、いずれもその証拠能力を肯認するに十分であつて、所論は失当である。

三、控訴趣意第四点の六伝聞証拠の主張について

1、原判決は、「第一の事実の認定についての若干の説明」と題する項において、福ちやん荘で押収された鉄パイプ爆弾及びピース缶爆弾は「その一部もしくは全部が首相官邸襲撃計画の実行の際に用いられる予定になつていた」と認定し、その認定資料の一つとして、「大桑隆の検察官に対する昭和四五年三月三日付供述調書(謄本)第四項中の『一一月二日上野ステーシヨンホテルで塩見孝也が爆弾の本数が少ないので、三・四本を訓練に使い、残りは爆弾投てき部隊に渡す旨話していた』との供述記載」を挙げている。

記録によれば、原審は右の調書(謄本)を刑訴法三二一条一項二号後段により採用したものであることが認められる。所論は、右調書四項が原判決引用と同趣旨といえるかは疑問であるというが、右調書の記載と対比すると、原判決が右調書の記載を極めて忠実に、その趣旨を取り違えることなく判示していることが認められる。

ところで所論は、要するに、右塩見の発言(以下「塩見発言」という。)は、伝聞証拠であり、それが更に伝聞証拠である大桑隆の右検面調書に含まれているのであるから、いわゆる再伝聞にあたるところ、これは刑訴法三二四条の適用ないし準用されるべき場合に該当せず、仮に準用があるとしても同法三二一条一項三号の要件を欠くから、いずれにしても証拠能力がない。それにもかかわらず、これを犯罪事実認定の資料にした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

2、しかしながら、伝聞証拠となるかどうかは、要証事実と当該供述者の知覚との関係により決せられるものと解すべきであるから(最高裁判所昭和三八年一〇月一七日第一小法廷判決・刑集一七巻一〇号一七九五頁参照)、供述中に他人の供述が含まれているからといつて、これがすべて伝聞証拠となるものではなく、この他人がその供述(発言)をしたことじたいが要証事実とされている場合には、これをもつて伝聞ということはできない。

これを本件についてみるに、関係証拠によれば、右の他人にあたる塩見孝也は、前述したところにもあるように、福ちやん荘に集合しなかつたものの、本件当時、赤軍派政治局議長として赤軍派内で最高の地位にあつただけではなく、首相官邸襲撃計画の討議ないし準備のための各種会議に出席し、また指示・指令を発するなどして、終始、右計画実現の中心的役割を果していたもので、もとより本件訴因のなかで各犯行の共犯者の一人とされている。そして、ここにいう塩見発言は、右のような立場にある塩見が、同じく赤軍派の構成員で被告人大越とともに鉄パイプ爆弾の福ちやん荘搬入に関係していた大桑隆その他赤軍派幹部に対してした、鉄パイプ爆弾の使用に関する指示または指令そのものであり、他面、右爆弾の使用に関する当時の塩見の意図を示すものであつたことが認められる。

右に認定したところによれば、塩見発言は、同人が自ら過去に体験・知覚し記憶していた事実を供述に再現したというのではなく、それじたいが当時における塩見の爆弾使用に関する意図を示すとともに、犯行に関する指示または指令として謀議の一過程を構成していたものといわざるを得ない。

したがつて、塩見発言のなされたことじたいが過去の事実として非供述証拠の性格を有するものと解されるから、塩見発言を聞いたとする大桑隆の前記供述記載は、塩見が右の発言をした事実じたいを要証事実としているものということができる。そして、塩見が右のような発言をしたことは、大桑隆の自ら直接知覚したところであるから、塩見発言をもつて伝聞証拠であるとはいえず、大桑隆の右供述記載はこれを所論のように刑訴法三二四条の問題として論ずる余地もなく、同法三二一条一項二号後段により証拠能力があると解するのが相当である。原審がこれを証拠として採用した点に訴訟手続の法令違反はなく、所論は失当である。

四、控訴趣意第四点の七審理不尽の違法の主張について

1、所論は、要するに、原審が反証として弁護人のした証人の取調請求を大幅に却下し、また福ちやん荘等の検証の請求も却下したため、弁護人らの無罪の主張を裏付けるべき事由の立証が不可能になつた。かかる原審の措置は、憲法三七条二項・刑訴法二九八条一項・一条に違反するものであり、また違法阻却事由の主張に関する証拠申請を却下しながら、被告人らの行為の違法性を認定した原判決には審理不尽に基く理由不備の違法がある、というのである。

そこで記録を調査すると、原審が、数次にわたる弁護人の証拠調請求に対し、所論の検証申請を却下したほか、井上清・佐藤栄作・成田知己・宮本顕治・竹入義勝・春日一幸・もののべのながおき・井上正治・土田国保・阿部憲一そのほかの証人尋問請求を却下したことは所論のとおりである。しかし、原審は、検察官申請の書証が証拠として同意されなかつたことから、木村一夫ほか二十数名の赤軍派関係者を証人として喚問し、弁護人及び被告人らに対し反対尋問の機会を十分に与えるなどしているほか、被告人質問及び情状に関する反証は別としても、弁護人請求にかかる証人として福ちやん荘で逮捕された牧野(旧姓河野)果及び酒井隆樹や、すでに供述調書が同意され、取調べられていた福ちやん荘の管理人雨宮昭三らのほか、行為の正当性ないし違法阻却事由等の主張に添うものとして、塩見孝也を四開廷にわたり、また佐野茂樹(元日共党員)・花園紀男(赤軍派政治局員)・穂積七郎(元衆議院議員)・浅田光輝(静岡大学教授)・池田浩士(京都大学助教授)らを喚問・取調べていることが認められ、これによつても弁護人らに十分な反証の機会が与えられていたことは明らかであつて、原審の証拠の採否について、裁量の範囲を逸脱した違法のかどはなく、ひいては所論の違憲・違法も認められない。

また、原審は右のような証拠調を通して所論の争点についても必要かつ十分な審理を遂げていることが認められる。しがたつて、被告人らの行為の違法性を是認した原判決に、審理不尽に基く事実誤認、理由不備の違法があるとはいえない。

2、次に所論は、被告人らが不当に長期にわたり勾留されていたため、不当に防禦権が侵害された、というのである。なるほど、記録によれば、原審において期間の差こそあれ、被告人らが相当長期にわたつて勾留されていたことが認められるが、諸般の事情にかんがみればこれが不当であつたとはいえず、また、そのゆえに防禦権が不当に侵害された事跡も見当らない。しかも、被告人らは原審公判途中でいずれも保釈を許可され、早いもので昭和四六年四月に、遅くとも同四七年六月には釈放されているのであつて、原判決の宣告された同四九年六月一〇日までの相当期間を在宅の身で公判審理に臨んでいたことが認められる。

更に所論は、原裁判所構成裁判官の個人的事情による審理の早期打切りに同意することを余儀なくされたと主張し、記録によれば、原審第三四回公判期日における三上宏弁護人の意見中に、原裁判所構成裁判官の異動等を考えて弁護人としても、できるだけ裁判の進行に協力した旨の発言のあることが見受けられる。しかし、弁護人において裁判の進行に協力すべきはむしろ当然の義務というべきであつて、右に認定した審理の経過に照らしても、本件において、所論の事情のゆえに弁護人側の反証活動が不当に制限された事跡は認められない。

3、その他所論にかんがみ、記録を検討しても、原審において、弁護人側の反証活動が不当に制限され、また原裁判所によつてその弁護権・防禦権が不当に侵害された事実は認められず、原審の訴訟手続に審理不尽を含め、所論の違憲・違法のかどは何ら認められない。

第三、控訴趣意第五点(被告人らの同補充書を含む。)事実誤認及びこれに付随した法令適用の誤りの主張について

所論は、原判決には以下に指摘する事実誤認ないしこれに付随した法令適用の誤りがあり、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかし、原判決の掲げる証拠によれば、原判示の罪となるべき事実はこれを認めるに十分であり、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ひいてはこれに付随した法令適用の誤りはなく、原判決が「第一の事実の認定についての若干の説明」の欄において認定判示したところは、当裁判所も概ね相当としてこれを是認することができる。以下、所論の順序に従いつつ、主要な論点について理由を付加説明する。

一、爆発物取締罰則違反について

1、爆発物としての性能の有無

(一)、所論は、要するに、原判示の鉄パイプ爆弾一七本(以下「本件鉄パイプ爆弾」という。)及びピース缶爆弾三個(以下「本件ピース缶爆弾」という。)に関する鑑定は甚だ不当なものであつて、右の各爆弾のすべてが本罰則にいう「爆発物」に該当すると認定するだけの証拠はない、というのである。

よつて考察するに、本罰則にいう「爆発物」とは、理化学上の爆発現象を惹起するような不安定な平衡状態において、薬品その他の資料が結合した物体であつて、その爆発作用そのものによつて、公共の安全をみだし、または人の身体・財産を害するに足りる破壊力を有するものであることを要し、かつ、それをもつて足り、雷管その他の起爆装置が装備または準備されていることを要するものではないと解するのが相当である(最高裁判所昭和五〇年四月一八日第二小法廷判決・刑集二九巻四号一四八頁参照)。以下、右の基準に照らし、本件各爆弾が本罰則にいう爆発物に該当するかどうかを各個別に検討する。

(二)、まず、本件鉄パイプ爆弾についてみるに、科学警察研究所警察庁技官久保田光雅作成の鑑定書(以下「久保田鑑定」という。)同人の原審公判証言(以下「久保田証言」という。)及び司法警察員浜一夫撮影の写真三三葉(以下「浜写真」という。)によれば、本件鉄パイプ爆弾は、直径約二センチメートル、長さ約二五センチメートルの両端ねじ蓋付鉄パイプ(このねじ蓋付の状態における長さは、最長のもので三一センチメートル、最短のもので二六・五センチメートル)に、塩素酸カリ・黄血塩・蔗糖の混合粉末(一七本のうち一本の鉄パイプの内容物について定量分析を行なつた結果は、塩素酸カリ五三パーセント、黄血塩二三・五パーセント、蔗糖二三・五パーセントの組成を示していた。)を充填したもの、及び濃硫酸入りコルクまたはゴム栓付試験管(一七本のうち三本の試験管の硫酸の濃度を検出した結果は、それぞれ八一パーセント、七六パーセント、七四パーセントであつた。)から構成されているものであつて、後者の試験管を前者の鉄パイプ内に挿入し、鉄パイプをねじ蓋で密閉したうえ、投てき等により衝撃を与えると、試験管が割れて濃硫酸が混合粉末に接触し、急激な化学反応を起こし、瞬時に爆発する仕掛けになつており、爆発の結果、容器のねじ蓋付鉄パイプ及び近接の物体を破壊し、なお右ねじ蓋付鉄パイプが破片となつて飛散するもので、とくにこの破片の近接物体に対する侵徹力ないし貫通力は大きく、二〇メートル程度の距離内では物体に損傷を与え、人畜等に命中すれば死傷の結果を来たす威力のあることが認められる。

なお、酒井隆樹の検察官に対する昭和四四年一一月二六日付及び同年一二月二五日付各供述調書謄本によれば、同人が二人の仲間とで作つた本件鉄パイプ爆弾と同種の爆弾を実験のため川の中に投げ込んだところ、爆発を起こして、一〇メートルか一五メートル位離れた地点で見張りをしていた右酒井の耳にも、あまり大きくはないが、ボーンという音が聞こえるなどして、二人の仲間とともに、いわゆる鉄パイプ爆弾が相当な爆発力を有することを再確認したことが認められる。この事実も、本件鉄パイプ爆弾の爆発性能を裏付ける資料の一つとなり得るものである。

もつとも、右の各証拠によれば、久保田鑑定については、所論にもあるように、本件鉄パイプ爆弾が均質の工業製品ではなく、手作りのものとみられるにもかかわらず、(イ)、鉄パイプの内容物の分析をしたのは一七本中一本だけであつたこと、(ロ)、爆発実験も、鉄パイプの長さが最短のものと思われる一本についてだけ行なわれたこと、(ハ)、右の爆発実験は、右に認定した本来の使用方法である投てき、またはこれに類似した方法によるものではなく、二立方センチメートルの濃硫酸(濃度九〇パーセント)を封入した試験管及び電気雷管を内径一四ミリメートル、長さ一〇〇ミリメートルの鉄パイプに挿入し、この鉄パイプを本件の鉄パイプに接続させたうえ、電気雷管を起爆させて右の試験管を破壊させ、もつて濃硫酸を流出させるという方法でなされたこと、(ニ)、右の方法によつても、鉄パイプの破片は目ぼしいもので三~四個しか飛散しなかつたこと、(ホ)、実験に使用された濃硫酸の濃度はいずれも九〇パーセント程度であつて、本件で押収された硫酸の濃度は前示のようにこれより相当劣るものであつたこと、(ヘ)、押収された濃硫酸入り試験管の栓は、コルク製及びゴム製のいずれについても、試験管内に入つている部分の一部に変化が見られたことなど鑑定の正確性に疑いを入れる余地がないではない。

しかし、関係証拠とくに本件鉄パイプ爆弾の製造に関係した木村剛彦の検察官に対する昭和四五年一月八日・九日付供述調書謄本及び右爆弾の運搬に関係した被告人大越の検察官に対する各供述調書、同じく大桑隆の検察官に対する昭和四五年三月二日付(二五項)及び三日付(一~四項)各供述調書謄本によれば、本件鉄パイプ爆弾は、いずれも爆発物として本来の性能を発揮させるために製造されたもので、手作りとはいえ製造工程において不良品が生ずるような格別の事情はなく、また、その運搬過程においても、爆発物としての性能に変化をもたらすべき格別の事情のなかつたことが認められる。更に、久保田証言によれば、残る一四本の鉄パイプについて、危険物処理の目的でダイナマイト五〇グラムを起爆剤として爆破処理がなされているが、爆発後の残骸の状態などを検査することによつて、いずれについても爆発性能に異常のなかつたことが確認されている。これらの事情によれば、久保田鑑定が一部についてだけ実験その他の検査を行なつたことは、結果的にみても、あながち不当であつたとはいえず、それが鑑定結果の正確性に影響を及ぼすものでないことは明らかである。

また、久保田証言によれば、同人が爆発実験にあえて前記(ハ)の方法を選んだのは、実験者の安全を考慮し、危険を回避するためのやむを得ない措置であつたうえ、電気雷管の爆発自体が直接本体の鉄パイプに作用して誘爆しないよう慎重な配慮を加えていたこと、爆発実験により飛散し、また周囲の木材に侵徹した鉄パイプの破片として、前記(ニ)の目ぼしいもののほか、数十個に及ぶ細片があつたこと、また、これらの破片のなかには、右の電気雷管等を挿入した実験用鉄パイプのものは含まれていないことの各事実が認められる。これらによれば、本件鉄パイプの爆発実験に不当な点はなく、また、爆発威力判定の資料に疑問の点はないといえる。

更に、久保田証言によれば、押収試験管内の硫酸の濃度に関する分析結果については、それはあくまで鑑定時(昭和四四年一一月一四日)における数値を示すにとどまり、そもそも硫酸はその性質上、日時の経過、保管の状態等により空気中の湿気を吸収して次第に濃度を低下させるものであるうえ、すくなくとも濃度六〇パーセント以上であれば塩素酸カリに対する反応力に差異のないことが認められ、現に久保田鑑定によれば、押収濃硫酸についても現に前示混合粉末との接触実験において急激な反応を呈しているのである。このようにして、押収濃硫酸の効能に異常はなく、また爆発実験に別の濃硫酸を使用したことも不当とはいえない。

その他、久保田証言によれば、押収試験管の栓の性状は日時の経過により当然変化するものであり、鑑定時に前記(ヘ)の変化が認められたものの、なお栓としての本来の機能に異常のなかつたことが認められる。

右の次第であつて、その他所論にかんがみ久保田鑑定ないし久保田証言を仔細に検討しても、本件鉄パイプ爆弾に関する鑑定結果の正確性に疑いを入れるべき余地は認められない。

(三)、次に本件ピース缶爆弾については、久保田鑑定、久保田証言及び浜写真によれば、右の爆弾は、いずれも、たばこ「ピース」五〇本入り缶のあき缶にダイナマイト約二〇〇グラムを充填するとともに、その周辺部に七~八個の鋼球(パチンコ玉)を、また中央部に導火線付の工業雷管一本をそれぞれ埋め込み、右の缶の蓋の中央部に穴をあけ、導火線の端をその穴から外へ出し、蓋とあき缶との接合部分に粘着テープを巻きつけて両者を固定したものであつて、この導火線に点火すると工業雷管が起爆してダイナマイトを爆発させる仕掛けになつており、爆発により衝撃圧だけによつても、五メートル以内にいる人が即死または重大な傷害を受けるものと推定されるばかりでなく、とくにこの爆体にあつては、容器と鋼球とがダイナマイトに密着しているため、爆発によりこれらが飛散物となつて破片効果を生じ、鋼材やコンクリートで作られた物件を破壊することも可能であつて、本件鉄パイプ爆弾以上の爆発性能ひいては破壊力ないし殺傷力を有していたことが認められる。

所論は、久保田鑑定においては、本件ピース缶爆弾の内容物に関する分析経過が曖昧であると指摘するが、同技官は、右爆弾の内容物であるダイナマイト・工業雷管・導火線について、単に外部から点検したばかりでなく、ダイナマイトについて化学分析を行ない、またこれを含むすべてについて、各個別に性能試験を実施して、それらが本来の性質と正常な機能を有するもので、とくに工業雷管の爆力が右のダイナマイトを起爆させるに十分であることなどを確認していることは、右鑑定書の記載によつても明らかである。

次に、所論は、久保田鑑定においては、雷管と本体との結合について検討がなされていない、という。しかし、本罰則にいう爆発物の意義を前示のように解するとすれば、ダイナマイト約二〇〇グラムの充填された前示のピース缶の本体自体が本罰則にいう爆発物に該当すると解すべきであるから、雷管の有無ないし、雷管と本体との結合の良否は、すくなくとも、本罰則三条及び四条の各罪の成立に消長を及ぼすものでないと解するのが相当である。右の所論は、すでに前提において失当といわざるを得ない。

のみならず、念のため、本件ピース缶爆弾と工業雷管と本体との結合について検討するに、なるほど、久保田鑑定によれば、本件ピース缶爆弾の爆発実験は、前示のように取り付けられていた導火線に点火してなされたものではなく、この導火線付工業雷管を取り外し、代りに別に用意された電気雷管を装着して起爆・爆発させたものであつて、工業雷管と本体の結合についてはもとより、導火線と工業雷管との結合についても、実地の検査はなされていないことが認められる。しかし、久保田証言及び浜写真を併せ検討すると、本件の工業雷管が本体のダイナマイトを起爆させるに十分な爆力のあつたことは前示のとおりであり、実験に用いられた電気雷管の起爆性能も右と同程度であつて、これが爆発実験にあたり、取り外された工業雷管の跡に、これと同一の状態でダイナマイト中に挿入されていたことが認められるから、この状態で右の起爆・爆発が確認された以上、右の実地検査を試みるまでもなく、本件の工業雷管とダイナマイト本体との結合に異常のないことが明らかにされたものといわざるを得ない。

もつとも、本件工業雷管と導火線の結合については、所論の東京地裁の裁判例に徴しても、結合不良の疑いを払拭できないのであるが、たとえ結合不良が認められたとしても、このような欠陥が本罰則三条及び四条の各罪の成立に消長を及ぼすものでないことは、雷管と本体の結合に関する前記判示に照らしても明らかである(なお、最高裁判所昭和五一年三月一六日第三小法廷判決・刑集三〇巻二号一四六頁参照)。

(四)、以上に検討した諸点にかんがみれば、久保田鑑定には、説明不十分など若干の問題がないではないが、鑑定結果の正確性については、優に信用に値するものであつて、前示のような本件各爆弾の組成・構造・爆発作用・これによる破壊力などを総合すると、本件の各爆弾が本罰則にいう爆発物に該当することは明らかである。

2、爆発物であることの認識の有無

所論は、被告人らは本件各爆弾の構造・形態・製造方法・威力・性能・使用方法につき具体的知識を有していなかつたし、一一月三日夜の会議で被告人松平及び酒井隆樹の両名が爆弾に関する説明をしているが、その説明内容は被告人らに対し本件各爆弾に関する右の諸点とくに威力・性能につき具体的知識を抱かせる程度のものでなかつたから、被告人らにおいて、本件各爆弾が爆発物であることの認識がなかつた、というのである。

ところで、いわゆる爆弾について、本罰則三条及び四条の罪が成立するためには、犯人において、未必的にしろ右の爆弾が爆発物であることの認識を有していたことが必要であるが、爆発物であることの認識があるというためには、犯人において、当該爆弾が「理化学上のいわゆる爆発現象を惹起するような不安定な平衡状態において、薬品その他の資料が結合している物体であつて、その爆発作用そのものによつて、公共の安全をみだし、または人の身体・財産を害するに足る破壊力を有する」ものであることを社会通念上の意味において認識しておれば足り、必ずしも当該爆弾の構造・形態・製造方法・威力・性能・使用方法などについて具体的に認識するまでの必要はないと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、関係証拠によれば、赤軍派の一員である木村一夫は、昭和四四年一一月三日午後五時頃本件ピース缶爆弾(三個)を福ちやん荘に持ち込んで、被告人中野らに手渡し、それは同荘二階しらべの間の押し入れ内に保管されたこと、これより遅れて翌四日午後三時ころ被告人大越が本件鉄パイプ爆弾(一七本)を福ちやん荘に運び込んで被告人中野らに手渡し、それは本件ピース缶爆弾と同様に二階しらべの間の押し入れ内に保管されたこと、同三日午後六時三〇分ころから八時過ぎころまでの間、同荘二階しらべ及びしらかばの両間を通して、赤軍派集団五十数名の大多数が出席して会議が開かれたが(以下「三日夜の会議」という。)、これには被告人大越を除く被告人全員が出席したこと(被告人穂積について後述)、その席上、幹部の被告人八木が「世界の諸情勢をみれば、今こそ革命のチヤンスだ。赤軍では佐藤首相訪米阻止に向け首相官邸を襲撃占拠し革命の突破口を開かねばならない。」旨の演説をし、次いで被告人松平が、右しらべの間の押し入れ前に置かれた黒板に首相官邸周辺の略図を示しつつ、原判示のように首相官邸襲撃占拠の計画(以下「本件計画」という。)を極めて具体的に説明し、そのなかで使用武器等に言及して、「六日の朝ここを出発して千葉の兵舎に一泊し、七日の朝三時に五台のトラツクに乗つて出発、一斉に攻撃する。一隊は正門から官邸を攻撃する。武器は鉄パイプ爆弾・火炎びんなどを使う。二隊は鉄パイプ爆弾・ナイフ・ゲバ棒などで武装、塀の上に乗つて爆弾を官邸内に投げ込み、機動隊をせん滅して占拠する。三隊は通用門から機動隊を鉄パイプ爆弾などで攻撃して官邸内に突入する。その他の隊も付近道路上で応援の機動隊を阻止するために火炎びん・鉄パイプ爆弾を使用する。」などと発言したほか、「鉄パイプ爆弾は二〇〇本を使う。」、「ピース缶で作つた爆弾もあり、中に火薬が入つている。導火線は以前は一二センチだつたが一秒に一センチ燃えるため時間がかかり、もみ消されるので、六センチにしてある。導火線にテープが巻いてあるから、それを解いて点火し、二、三秒してから投げる。」旨の指示説明を行ない、その途中、酒井隆樹が鉄パイプ爆弾について前記黒板に図解しながら、その構造・成分・使用方法の説明をし、威力について「水中で実験した際、水柱が一〇メートルにも上つた。近くで爆発するとけがをするから二〇メートル以上投げるように。」などと説明したこと、翌四日午前九時ころ、別の任務を帯びた小数の者らを除き大多数の赤軍派集団は、福ちやん荘を出て山に登り、付近の山中において、原判示のように、被告人大久保から本件計画における部隊編成・任務・役割等につき詳細な説明を受けた後、被告人松平及び同大久保の両名総指揮のもとに、原判示のような軍事訓練を実施したが、その際、木の枝や石塊を鉄パイプ爆弾に見立てて、その投てき・使用の訓練を行なつたこと、同日午後五時ころから約一時間にわたつて前夜と同様、福ちやん荘二階のしらべ及びしらかばの両間を通して会議が開かれ(以下「四日夜の会議」という。)、これには被告人大越も出席したこと、その席上、被告人松平及び同大久保が中心となつて、当日の訓練結果の検討がなされ、鉄パイプ爆弾の運搬方法等の点について討議されたことの各事実が認められる。

右認定の事実とくに両日にわたる夜の会議、四日山中における訓練等の各内容からしても、被告人らの一部を含め赤軍派幹部や、鉄パイプ爆弾またはピース缶爆弾の製造・保管・運搬等に関係した赤軍派の者らにおいてはいうまでもなく、その余の赤軍派集団の者においても、本件各爆弾とくに鉄パイプ爆弾の構造・成分・使用方法・威力等につき具体的にも十分な認識を得ていたことは明らかであつて、被告人らにおいて、本件各爆弾が本罰則にいう爆発物にあたることの認識を有していたことは疑いの余地がなく、所論は理由がない。

3、治安を妨げる等の目的の有無

(一)、所論の要点と判断

所論は、要するに、被告人らの本件計画はいまだ机上のプランであつて、本件各爆弾はすべて実験・訓練用のものであつたから、被告人らに、治安を妨げ人の身体・財産を害せんとするの目的はなく、とくに本件ピース缶爆弾は木村一夫が勝手に持ち込んだもので、襲撃はもとより、訓練に使用される予定もなかつた、というのである。

しかし、被告人らの本件計画が単なる机上のプランでなく、福ちやん荘における会議・付近山中における軍事訓練に直結した既定の行動目標であり、また、本件各爆弾の全部が実験・訓練等に費消される予定はなく、両爆弾とも、その一部もしくは全部が本件計画の実行の際に用いられる予定になつていて、一一月五日早朝逮捕の時点では、実験・訓練用のものの特定もなされておらず、いずれにしても右計画の実行に供される可能性のあつたことは、原判決が詳細に説示したとおりであつて、これが肯認できることは前示のとおりである。なお、若干の説明を補足する。

(二)、付加説明

関係証拠によれば、原判示にもあるように、なるほど、赤軍派集団のなかには、軍事訓練ということだけで参加を呼びかけられた者もいたが、一一月三日夜の会議における被告人八木及び同松平の各発言は、前示のように、一一月七日早朝の首相官邸襲撃占拠が既定の目的とされていて、その敢行の決意を表明するとともに、襲撃占拠の具体的計画・方法等を詳細に指示・説明したものであり、その席上、酒井隆樹による前示爆弾の説明のほか、被告人大久保から部隊編成が発表されたこと、これらの発言・指示・説明等に対し、幹部以外の赤軍派集団の者も、何ら反対の意思を表明しなかつたばかりでなく、会議の前後において幹部からの求めに応じ救対名簿(当庁昭和四九年押第七八二号の一六。以下同じ。)に所要の事項を記入し(牧野一樹については後述)、更に求められて所持金の大半を醵出し、翌四日の山中における訓練に参加し、四日夜の会議に出席していることが認められる。これによれば、当初、単なる軍事訓練と思つて参集した者についても、所持金の大半を醵出するなどした三日夜の時点において、すでに、本件計画実現のため以後の出所進退を幹部に一任し、集団からの任意の離脱・離反を許さない状況にあつたことは否定しがたく、幹部以外の赤軍派集団の者においても、かかる状況を認識するとともに、おそくとも五日早朝逮捕されるまでの時点において、他の参集者と一団となつて本件計画実行の決意を固めていたことは明らかである。ことに、関係証拠によれば、横浜南部地区反戦青年委員会に所属する参集者の間で本件計画参加の是非が話し合われ(詳細は後述)、その一員である牧野一樹だけが言葉を濁して救対名簿への記入・所持金の醵出等を回避し、四日午前二時三〇分ころ、ひそかに一人で下山したこと、あとに踏み留まつた同人の愛人河野果(現姓牧野)は周囲の者に対し口実を設けて右下山の理由を偽つていたことなどの事実が認められ、証人牧野果の原審公判証言中、右認定に反する部分は、照屋久・前野正彦・宮森孝次郎・木村兼治・暖水秀治及び牧野一樹の検察官に対する各供述調書に対比して信用できない。右認定の事情は、三日夜の時点において、福ちゃん荘内の赤軍派集団内の状況がすでに前示のように任意の離脱・離反を許さないものであつたことを示すものといえる。また、原判示にもあるように、一一月四日には本件計画実行のための部隊編成と任務・役割等が発表され、同日の山中における訓練も、この編成等に従い実施されているのであつて、そこに、単なる軍事訓練以上の、すなわち本件計画実行の予行演習の一面を垣間見ることができる。更に、関係証拠によれば、四日後、幹部の指示もあつて十数名の参集者が父母等にあてて手紙等をしたためているところ、その内容はすべて遺書というほどのものではないが、多くは重大事の決行を直前に控えて、当時の心境・感慨を吐露し、決意を披瀝するなどしたものであつて、いずれにしても、一部の者によるだけとはいえ、それなりに当時における赤軍派集団内の緊迫した空気や参集者の悲愴感を察知することができる。他方、関係証拠によれば、塩見を中心とした相当数の赤軍派要員が福ちやん荘に参集することなく、本件計画実現のために、アパートの借り入れ、トラツクの調達、火炎びん及び爆弾等の製造・運搬、銃器・実包の入手等の任務に従事しており、塩見と福ちやん荘にいる幹部との間では、電話等で絶えず緊密な連絡が行なわれていたことが認められる。

右の諸事情に照らしても、本件計画が単なる机上のプランではなく、赤軍派政治局が決定し、被告人らを含む赤軍派の者らにおいて、現実に実行を意図していたもので、大菩薩峠への参集がその実行に直結していたことは明らかである。

次に、所論は本件各爆弾がすべて実験・訓練用のものであつたとしてその理由を縷説する。しかし、前示のように被告人松平が三日夜の会議で「鉄パイプ爆弾は二〇〇本使う。」などと説明していることに徴しても、首相官邸襲撃に多数の鉄パイプが必要とされていたにもかかわらず、木村剛彦の検察官に対する各供述調書謄本によれば、同人らにおいて、塩見ら赤軍派中央の意を受けて引前市内で作業を続けていた鉄パイプ爆弾製造の進捗状況は、七日早朝の決行を控えながら一一月に入つてもはかばかしくなかつたことが認められる。これによつても本件鉄パイプ爆弾のすべてを山中の実験・訓練用に注ぎ込むことが困難な事態にあつたことは客観的にも看取することができる。また、右の事情は大桑隆の検察官に対する昭和四五年三月三日付供述調書謄本四項にある塩見発言の事実ならびにその真実性を裏付けるべきものといえる。なお右大桑は原審公判証言において、右塩見発言の事実につき弁護人らの詳細な反対尋問にもかかわらず、ついに右発言の事実を否定し切るまでに至つていないことが認められるのであつて、右の諸点に照らし、塩見発言に関する大桑の右調書の記載は信用に値するといわざるを得ない。もつとも、一一月二日大桑とともに上野ステーシヨンホテルに赴いたと認められる被告人大越は、捜査段階で重要部分の供述を回避しつつ事実関係につき一応の供述をしているのであるが、右のようにステーシヨンホテルに赴いたことひいては塩見発言に何ら言及せず、原審でも被告人中野から塩見発言の有無を質問されながら、単に「記憶ないです。」と供述するのみであつて、これらの事情は、いまだ右塩見発言の認定を左右するほどのものではない。また、原判決が本件各爆弾の使用目的認定の資料として、右大桑の調書とともに引用する被告人大久保の検察官に対する昭和四四年一一月一九日付供述調書二項中「五日は同所で鉄パイプ爆弾とピース缶爆弾の持つていつた一部をテストするということであつた」旨の供述記載について検討するに、なるほど同被告人が本件各爆弾の持ち込みにつき虚偽の供述をしていることは所論のとおりである。しかし、同被告人の当審公判供述によれば、同被告人が右の虚偽供述をするに至つたのは一種の気負いから他の者をかばうためであつたというのであつて、このことは右調書の供述記載自体に徴しても看取し得るのであるが、かかる虚偽供述の動機に照らしても、右調書中、原判決引用の部分を含め、その余の事項に関する供述記載を直ちに虚偽と断定するのは相当でなく、右虚偽部分と切り離して、それなりに、本件各爆弾の使用目的認定の証拠となり得るものといえる。更に、木村一夫が本件ピース缶爆弾を福ちやん荘内に持ち込んだ経緯について、たとえ所論のように同人が勝手に持ち込んだ事情が認められるとしても、前示のような三日夜の会議における被告人松平の説明内容によれば、おそくともその時点において、本件ピース缶爆弾も、使用目的の点はさて置き、本件計画の武器に組み込まれていたことは疑いの余地がない。のみならず、木村一夫の検察官に対する昭和四四年一一月一六日付(但し一四~二五項)及び一七日付各供述調書謄本によれば、本件ピース缶爆弾は、三個とも木村一夫が赤軍派のものであるということで友人から依頼されて預つていたが、その後被告人中野及び同八木らに処置につき指示を仰ぎ、同八木の指示を受けて導火線を実戦用に切り詰めていたもので、これを前示のように福ちやん荘に持ち込んで被告人中野らに手渡すに至つたことが認められ、これによれば、右の持ち込みが赤軍派幹部の直接の指示によるとの確証がないとしても、赤軍派の方針に従つたものであることは推認するにかたくない。

このようにして、赤軍派集団にとつて、首相官邸襲撃占拠は、単なる机上のプランではなく、すでに実行が決断された目標であり、大菩薩峠への参集はこれに直結したものであつたことは明白である。また、本件各爆弾の使用目的については、すくなくともその一部が直接首相官邸襲撃に使用すべく予定されていたことは疑いの余地がない。

そして、被告人らの一部を含む赤軍派の幹部らにおいて、右の諸点を認識し、むしろ意図していたであろうことは推認するにかたくない。更に、その余の被告人らについても、牧野一樹らのごく一部を除く(原判決も同人らを共犯者の認定から除外しているものと解される。)赤軍派の者らとともに、首相官邸襲撃占拠の意図を有し、福ちやん荘ひいては大菩薩峠への参集がこれに直結したものであることを認識・了承していたことは明らかである。また、右のような爆弾の使用目的についても、後記認定のように、本件各爆弾のすくなくとも一部が当時福ちやん荘に保管されていることを認識しながら、五日早朝に逮捕されるまでの間に、これらが実地の訓練に全く使用されなかつたばかりか、かえつて、幹部からピース缶爆弾を実験・訓練に使用する旨の説明・指示を受けたことはなく、また鉄パイプ爆弾の全部を実験・訓練で使用するとの説明・指示も受けておらず(これらの説明・指示がなかつたことは関係証拠に照らし明白である。)、四日の訓練では実物でなく石塊や木の枝が代用されていたことなどの諸事情によれば、右の者らにおいても、本件各爆弾のうち、すくなくとも一部について、それが直接首相官邸襲撃占拠に使用されることを認識し、またこれを意図していたことは疑いの余地がない。

してみれば、被告人らを含む赤軍派集団において、治安を妨げ、他人の身体・財産を害せんとするの目的をもつて、本件各爆弾を所持し(被告人中野・同八木・同松平及び同大久保)、または右の目的をもつて使用することを意図していたことは明らかである。

4、爆発物所持の成否

所論は、要するに、被告人松平及び同大久保について、組織上の位置から本件各爆弾の処置・管理等についてこれを支配することはできず、また右各爆弾の保管状況を認定する証拠もないから、被告人中野及び同八木を含め、以上四被告人について、爆発物所持罪の成立を認めることはできない、というのである。

しかし、本罰則三条にいう爆発物の所持とは、爆発物を自己の事実上の支配内に置くことをもつて足りると解するのが相当である。これを本件についてみるに、関係証拠によれば、前示認定にもあるように、本件各爆弾は、福ちやん荘内に持ち込まれて被告人中野らがこれを受け取つたあと、五日朝警察官に発見されるまでの間、福ちやん荘二階しらべの間の押し入れ内に保管されていたこと、被告人中野及び同八木の両名は、いずれも、当時赤軍派政治局員の一人であり、首相官邸襲撃部隊の最高指揮者でもあつて、赤軍派集団の幹部のなかで最高の地位にあつたこと、被告人松平及び同大久保の両名は、政治局員ではないが、いずれも、その下部機構である軍事組織委員であつて、襲撃部隊の中隊長でもあり、福ちやん荘における各会議、付近山中における訓練を主導した者であることの各事実が認められる。これによれば、本件各爆弾の管理・処置等について、被告人松平及び同大久保が赤軍派内の組織上の地位から何らかの制約を受けていたとしても、本件各爆弾が右被告人ら四名の事実上の支配下にあつたことは明らかである。右被告人四名は塩見らと共謀のうえ、本件各爆弾を所持していたものと認めざるを得ない。

5、爆発物使用共謀の有無

所論は、要するに、本罰則四条にいう共謀とは、爆発物の所在・使用方法・使用計画等を熟知している者が、それを使用するという積極的・確定的目的を有して、積極的に討論に参加する行為に限定して解釈されるべきものであるところ、三日夜の被告人松平の発言は単なるアジ演説であり、他の者がこれに賛同した証拠はなく、翌四日の訓練及びその際における被告人大久保の説明並びに四日夜の会議における討論も、いまだ謀議と評価することはできないから、本件において被告人らに爆発物使用の共謀罪を認定することはできない、というのである。

しかし、本罰則四条にいう共謀は前示第一の二に説示したとおり解すべきであるところ、本件においては、すでに叙上の論点で判示したように、三日夜の会議における幹部らの発言が単なるアジ演説でなかつたことはいうまでもなく、幹部以外の赤軍派集団の者も右の発言に反対意見を表明しなかつたばかりでなく、おそくとも五日早朝逮捕されるまでの時点において、他の参集者と一団となつて本件計画実行の決意を固めていたもので、その間、四日の山中における訓練に参加して、石塊・木の枝などを鉄パイプ爆弾に見立てて投てきなどの訓練を行ない、四日夜の会議にも多数が出席して鉄パイプ爆弾の運搬方法等を討議し、あわせて、以上を通じて本件各爆弾が本罰則にいう爆発物に該当することを認識し、すくなくとも、その一部につき治安を妨げ、他人の身体・財産を害せんとする目的をもつて首相官邸襲撃占拠に直接使用することを意図し、かつ後記認定のように、本件各爆弾のすくなくとも一部が福ちやん荘内に幹部らの手により保管・準備されていたことを認識していたことは明らかである。

右の事実関係に照らせば、赤軍派集団の者ら(被告人穂積・同大越について後述参照)の間において、爆発物である本件各爆弾の使用について具体的な謀議が成立していたことは明白であつて、これが本罰則四条にいう共謀に該当することはいうまでもない。

二、兇器準備結集・集合罪について

1、共同加害目的の有無

所論は、要するに、被告人らの大菩薩峠における集合は単なる軍事訓練を目的としたものであつて、被告人らにおいて、首相官邸襲撃を確定的・具体的なものとして認識し、これを意図して参集したものではなく、赤軍派においては、下山して爆弾の実験結果や軍事訓練の成果を持ち寄り、その後の方針を決定することになつていたもので、たとえ赤軍派集団の一部に、集合目的を誤解していた者があつたとしても、その意思を全体で確認したことはないから、被告人らに共同加害目的はない、というのである。

しかし、すでに判示したように、被告人らの福ちやん荘及び付近山中における集合が、単なる軍事訓練だけを目的としたものではなく、首相官邸襲撃占拠に直結したものであり、幹部以外の赤軍派集団の大多数においても、これを認識したうえ、他の参集者らとともに一団となつて原判示の兇器(登山ナイフについては後述)を使用して、右襲撃占拠を実現すべく決意していたものである。また、右の襲撃占拠の過程において、すくなくとも警備の警察官らの身体や警備車両・官邸の建造物等の財産に害を加えることを意図ないし容認していたことは、前示各幹部の発言内容等に徴しても明らかである。被告人らに、右の共同加害目的があつたことは疑いの余地がない。

なお、関係証拠によれば、赤軍派による福ちやん荘の宿泊予定が当初の二泊三日から三泊四日に変更されていることが認められ、これに三日夜の会議における幹部の発言内容等その他前顕諸事情を併せ検討すると、被告人らは、計画の露見防止に備え分散行動をとることがあるとしても、任意の離脱・離反が許されない状態のまま六日に下山して、千葉に一泊し、翌七日未明に数台のトラツクに分乗し、各自兇器を携えて、一団となつて首相官邸周辺へ直行する意図であつたことは明らかであつて、福ちやん荘及び付近山中における集合状態がそのまま官邸襲撃に直結していたことは疑うべくもない。所論のように、下山後の移動方法・行動計画・千葉市内の宿舎準備・武器・トラツク等の調達の諸状況につき、これらを具体的に明らかにする確証がないにしても、また、それらが幹部以外の者らに伝達・周知されていなかつたとしても、右共同加害目的の認定が左右されるものとは思われない。

2、兇器について

(一)、爆弾準備の認識等の有無

所論は、要するに、被告人らに本件各爆弾が福ちやん荘に準備されていたことの認識がなく、仮に準備の認識があつても、右の爆弾が加害目的に使用されることの認識がなかつた、というのである。

しかし、右加害用の認識については、被告人らにおいて、本件各爆弾のすくなくとも一部が直接首相官邸の襲撃に使用されることを認識・意図していたことは前示認定のとおりであるから、これを肯認すべきは当然といえる。

次に、爆弾準備の認識の有無については、被告人中野・同八木・同松平及び同大久保について、その認識があつたことは、前記爆発物所持に関する判示に照らしても疑いの余地がない。また、被告人大越など本件各爆弾の持ち込みに関係した者についても、当該爆弾につき準備の認識があつたことはいうまでもない。その余の赤軍派集団の者については、直接本件各爆弾の保管状況を現認していない者のいることは否定しがたいところである。しかし、前記認定のような三日夜の会議における幹部らの発言内容、四日の山中における訓練状況、四日夜の会議における討議の内容のほか、関係証拠によれば、四日夜の会議が終わるころ、被告人松平か同大久保のいずれかにおいて、出席者に対し鉄パイプ爆弾が届いたので明日の訓練で実験するなどの説明をしたことが認められ、その他三日夜の会議でピース缶爆弾などがしらべの間の黒板の後ろの押し入れにあると教えられた旨供述する者もすくなくないことなど以上の諸事情からして、右その余の赤軍派集団の者においても、本件各爆弾が福ちやん荘に持ち込まれて、幹部らの手により保管・準備されている事実を、その種類別の数量などは明確でないにせよ、認識していたものと認められる。

(二)、登山ナイフについて

所論は、登山ナイフについても、せいぜい訓練用のものとしか認識していなかつた、というのである。

しかし、関係証拠によれば、原判示の登山ナイフはその形状に照らし優に人を殺傷するに足りるものであり、赤軍派の兵站部を担当する前田祐一及び西田政雄において、塩見の指示により首相官邸襲撃用の武器として購入し、四日早朝渡辺某ほか一名の手により火災びん五本とともに福ちやん荘に持ち込まれ、同日の山中における訓練の際に、半数以上の者が首相官邸襲撃の際に用いるものだということで配付を受け、訓練終了後回収され、五日朝警察官に発見されるまで、本件各爆弾などとともに福ちやん荘二階しらべの間の押し入れに一括して保管されていたことが認められ、また、前示のように、三日夜の会議における被告人松平の説明でナイフを襲撃の武器として使用する旨が明らかにされている。右のような本件登山ナイフの調達・保管・取扱の状況・これに関する幹部らの説明内容等によれば、右のナイフは加害用のものであり、赤軍派集団の全員において、これらの準備あることを認識していたことが認められる。

3、結集事実の有無

所論は、要するに、被告人中野・同八木・同松平及び同大久保らにおいて、福ちやん荘に人を参集させた事実、他の被告人らに共同加害目的を付与した事実を認めるだけの証拠がないから、右被告人らによる兇器準備結集の事実はない、というのである。

しかし、関係証拠によれば、原判示にもあるように、赤軍派では、昭和四四年一〇月二四日の東京都文京区所在の禅林泉寺における地区代表者会議等において、軍事訓練の計画がなされ、その場所として大菩薩峠が検討の対象とされたこと、一方、これと併行して、塩見ら赤軍派の幹部は、同年一一月中旬に予定されていた佐藤首相訪米前に、首相官邸襲撃占拠を企図し、そのための鉄パイプ爆弾・火災びん・ピース缶爆弾等の製造・調達その他の準備を進めたこと、同年一〇月二八日夜の同都北区の赤羽台団地における拡大中央委員会、同月三一日夜の同都文京区小石川の富坂ゼミナーハウスにおける幹部会議等において、右塩見や政治局員である被告人中野及び同八木の両名のほか、被告人松平・同大久保その他数名ないし二〇名位の者が集合し、塩見らによつて「一一月はじめ大菩薩峠での軍事訓練の直後、首相官邸を武装襲撃占拠する。主要武器として現在製造中の鉄パイプ爆弾等を用いる。」旨の説明等がなされるに至り、一〇月下旬から一一月初旬にかけて、各地で参加人員の募集が行なわれ(但し、単に軍事訓練ということで参加を呼びかけられた者もいることは前記認定ないし後述のとおり。)、被告人松平らによる大菩薩峠の視察、福ちやん荘の宿泊予約等がなされ、一一月二日昼ころ東京都台東区上野ステーシヨンホテルにおいて、幹部会議が開かれ、右塩見・被告人松平ほか数名が出席し、部隊編成が決められるなどして決行日を前示のように一一月七日早朝とすることが決められたことの各事実が認められ、このようにして福ちやん荘に参集した者に対し、前示のように、三、四日の夜の会議、四日の山中における訓練などが実施され、単に軍事訓練を目的として参集した者の大多数についても、本件計画の実行に参加することを決意するに至らしめたこと、更に前示のような被告人中野・同八木・同松平及び同大久保の赤軍派ないし福ちやん荘内集団における地位、本件計画遂行上の任務・役割等以上の事実関係に照らすと、たとえ、被告人中野が福ちやん荘や付近の山中で演説などをした事跡が認められず、また同被告人が直接参加を呼びかけた、いわゆる神奈川グループの横浜南部地区反戦青年委員会に関係した者のなかで、牧野一樹が離脱して下山したほか、後記認定の事情のあつたことが窺われるとしても、同被告人を含む右四名の被告人において、塩見らと共謀のうえ、原判示のように、兇器準備結集の所為に及んだことは明らかである。

なお、所論は、右神奈川グループの全員が共同加害意思を有せず、また一一月五日には下山するつもりであつたことを強調する。しかし、関係証拠によれば、右のグループに関係して福ちやん荘に参集した者は、原審相被告人若宮正則(赤軍派中央軍所属)のほか牧野一樹・川崎進・宮森孝次郎・木村兼治・暖水秀治・相ヶ瀬好朗・河野果(現姓牧野)の合計八名であつて、そのうちには三日夜の会議における幹部らの発言から初めて本件計画を知つた者もあり、これを知つて動揺し、仲間同志でその是非が話し合われるなどしたが、けつきよく離反・下山した牧野を除くその余の者は救対名簿の記入に応じ、所持金の大半を醵出し、四日の訓練等に参加するなどして五日朝逮捕されるまでの間、赤軍派幹部に対し何ら反対意見を表明し、不参加の意思を通告していなかつたもので、右河野果に至つては愛人の牧野一樹と行動を共にして下山する機会があつたにもかかわらず、残留していたことなどの事実が認められ、河野こと牧野果の証言中、右認定に反する部分は前示にもあるように信用することができない。これによれば、牧野一樹以外の者については、右若宮を含む大半が、本件計画の実行に参加することを決意し、共同加害目的を有するに至つたことは明らかである。

三、殺人予備について

1、所論は、被告人らにつき殺人予備罪が認められないというのであり、要約するところ、その理由として、

(一)、本件の軍事訓練は具体的犯行の意図のないものである。

(二)、首相官邸襲撃は抽象的・不確定な将来の方針に過ぎなかつた。仮にこれが現実的・具体的なものであつたとしても、多くの被告人らはこれに参画するつもりがなく、殺意などは未必的にもなかつた。

(三)、被告人らには爆発物の殺傷力につき認識がなかつた。

(四)、石塊等の投てき訓練をもつて直ちに爆弾投てきひいては警官殺害の準備行為と評価することはできない。

(五)、予備と陰謀とは異なり、通説が陰謀を予備に先行する犯罪発展の一段階であると解しているところからも、仮に謀議がなされていたとしても、これはいまだ予備行為に該当しない

と主張する。

2、しかし、すでに判示したように、被告人らの本件計画は、単なる軍事訓練を目的としたものではなく、決行を七日早朝に控えた確定的・具体的なもので、大菩薩峠における集結ひいては軍事訓練等も右計画の実現に直結したものであり、被告人らをはじめ各参集者において本件各爆弾の威力を認識しながら、すくなくとも警備の警察官に危害を加えるためこれを使用する意図を有していたことは明らかである。したがつて、赤軍派集団の者らにおいて、首相官邸襲撃に当たり警備の警察官らを殺害することがあつてもやむを得ないとしていたことは優に認められるところである。

また、原判決が被告人らの殺人予備の具体的行為として判示するところのものは、被告人中野・同八木・同松平及び同大久保の四名については、三、四日の夜の会議及び四日の付近山中において、赤軍派の者約五〇名に対し、七日早朝の本件計画について指示・説明をしたこと、四日付近の山中で各種訓練をなしたことなどであり、その余の被告人ら(但し、同大越を除く。)については、本件計画に関する右の指示・説明に賛同し(被告人穂積については四日夜の指示・説明を除く。)、右の各種訓練を行なつたことなどであり、また被告人大越については、四日午後三時ころ本件鉄パイプ爆弾一七本を携行して右五十数名の集団に加わり、同日夜の会議に出席して討議に参加したことである。右の各指示・説明・各種訓練及び討議の各内容について、原判決は更に詳細な判示をしているのであつて、この事実は関係証拠によりいずれも是認できる。そのうち、三、四日各夜の会議における指示・説明及び討議の内容は概ね前記一・2で判示したとおりである。また四日昼の山中における指示・説明及び各種訓練の内容は、その一部を右一・2で判示しているとおりであつて、被告人大久保において、三日夜の会議で発表した首相官邸襲撃のための部隊編成とは若干の変動ある部隊編成を発表し、各部隊の任務・役割などについて、前夜の被告人松平とほぼ同様の詳細な説明をしたうえ、当日の訓練の説明をしたこと、右の部隊編成において、被告人松平は第一中隊長で、同穂積はその下に属し、被告人博田は第二中隊長で、同日浅はその下に属し、被告人大越は第四中隊長で、同工藤はその下に属し、被告人大久保は第五中隊長、被告人森は第六中隊長、被告人深尾・同若林及び同重松はいずれも第七中隊に属していたこと(被告人福田の所属は不明)、その後、第一ないし第三中隊は被告人松平の総指揮のもとに、第四・第五・第七の各中隊(被告人森も参加)は被告人大久保の総指揮のもとに、それぞれ、首相官邸襲撃のときの任務分担にしたがつて、石塊や木の枝を用いて鉄パイプ爆弾の投てき、使用の訓練やいわゆるゲバ棒による突撃訓練をし、更に右の各中隊が合流して、被告人松平の指揮のもとに、触発性火炎びん五本の投てき訓練をし、第六中隊は見張り・連絡その他の任務に従事し、被告人中野は見張りや連絡などをし、被告人八木は訓練を視察していた、などというものである。

右の事実関係によれば、被告人らの行為は、殺意が未必的であつたとはいえ、その数日後に予定された警察官の殺害行為を含む首相官邸襲撃占拠を目的として、襲撃方法及び各人の役割等を指示・説明・承認し、これに則つた軍事訓練ひいては襲撃の予行演習ともいうべきものを行なつたもので、このような一連の所為は、本件各爆弾その他兇器の物的準備を別としても、多数人による組織的集団が構成員の各役割を十分に生かし、集団の力を発揮して襲撃占拠の目的を実現させるためには、極めて重要な準備的行為といえる。しかも、法益侵害の危険性が客観的にも生じていたものといわざるを得ない。また、その行為の形態のみにかんがみても、これが殺人の陰謀の域を超え、殺人の予備に該当するものであることは疑いの余地がない。

してみれば、被告人らの前示各所為は刑法二〇一条所定の殺人予備に該当するものと解するのが相当である。

四、被告人らの個別的事情について

1、被告人穂積について

所論は、要するに、被告人穂積が福ちやん荘に到着したのは三日午後一〇時ころであつたから、三日夜の会議には出席していないし、また、同被告人が四日の軍事訓練に参加したとの証拠もないから、けつきよく同被告人については、いわゆる黙示の賛同・未必的認識・共謀等もなく、全事実について無罪である、というのである。

しかし、所論のような主張に関する事実は原審において被告人穂積が供述していないところである。のみならず、関係証拠とくに劉世明の原審証言及び同人の検察官に対する昭和四五年三月三〇日付供述調書謄本(二~九項)によれば、被告人穂積は、劉世明らとともに、三日昼過ぎには福ちやん荘に到着し、一時外出したものの、夜の会議に出席し、翌四日の山中における訓練等にも午後二時まで参加し、救対名簿にも所要の記入をしていたもので、しかる後、幹部の指示を受け任務を帯びて劉世明らと下山したこと、その任務というのは、劉世明ほか二名の者とともにナイフを購入して秋田へ赴き、首相官邸襲撃に使用する銃砲等を奪うというものであつたことの各事実が認められる。劉世明は当審公判でも、三日の夕食時には被告人穂積は戻つていたように思う、翌四日の下山前に同被告人も一緒にいて投石訓練をした旨証言している。

被告人穂積は、当審一二回公判で、所論の点に関し供述をするものの、その趣旨は所論と必ずしも同一ではなく、「三日昼過ぎに福ちやん荘に到着し、劉と行動を共にして塩山駅の方へ見に行き、夜九時か一〇時ころに帰つたので、三日夜の会議には出席しなかつたが、話は後で聞いた。四日は命令を受けて劉世明と一緒に下山した」旨供述している。しかし、この供述どおりであるとしても、被告人穂積の犯行関与を否定することはできないといえるが、それはそれとして、右供述中、前記認定に反する部分は、右劉世明の各供述等に対比して信用できない。

2、被告人博田(旧姓石井)について

所論は、要するに、被告人博田は第二中隊長として指名されているが、これは軍事訓練だけの臨時の役目であつて、同被告人の赤軍派内ひいては本件における地位の高さや積極的姿勢を示すものではない、というのである。

関係証拠、とくに検察官に対する被告人石井こと博田の昭和四四年一一月一九日付及び二三日付、木村一夫の同月一七日付(謄本)、太田敏明の同月一六日付、上条史夫の同月一七日付(謄本、一七~二五項)、中尾真の同月一五日付(謄本)各供述調書によれば、被告人博田は、赤軍派千葉地区に所属し、首相官邸襲撃の際に爆弾を使用して直接官邸を攻撃する役目の第二中隊にあつて、その中隊長に指名されていた者であるところ、同被告人が第二中隊長に指名されたいきさつについては、第二中隊の隊員に千葉地区に所属する者がいなかつたところからなお疑問は残るものの、千葉地区の責任者的地位にあつた藤田こと田中義三が福ちやん荘に参集しなかつたことに関係していることは、あながち否定することができない。しかし、同被告人は、福ちやん荘に参集するに先き立ち、昭和四四年一〇月二四日ころに開かれた赤軍派の中隊長会議や同月二八日の拡大中央委員会にそれぞれ出席して、本件計画に参画し、また、千葉地区所属の数名に参加を呼び掛けるなどして赤軍派のため積極的に活動し、四日の山中における訓練でも、第二中隊所属の隊員に対し、爆弾の構造にまで言及して鉄パイプ爆弾の投てきなどの訓練を熱心に指導していたことの各事実が認められる。これによれば、被告人博田の今次の犯行集団内における地位ないし犯行関与の程度は、同じ中隊長の被告人松平または同大久保に匹敵するほどではないとしても、すくなくとも他の一般参集者よりは重要かつ密接であつたことは明らかといえる。

3、被告人大越について

所論は、要するに、大菩薩峠における軍事訓練が首相官邸襲撃の準備であることを被告人大越が認識していたとの証拠はなく、また、同被告人は、福ちやん荘にピース缶爆弾が保管されていることを知らなかつたし、同被告人において持ち込んだ本件鉄パイプ爆弾も、訓練用との認識しか有していなかつた、というのである。

しかし、関係証拠とくに検察官に対する酒井隆樹の昭和四四年一一月二六日付(謄本、四~一四項)、大桑隆の同四五年三月二日付(謄本、二二~二五項)及び同月三日付(謄本、一~四項)、五十嵐哲世の同四四年一一月一六日付(謄本)、遠藤晃の同月一五日付(謄本、原記録第二六冊一四一丁以下のもの、八~一三項)各供述調書などによれば、被告人大越は、福ちやん荘への参集にさきだち、大桑隆と行動を共にして、昭和四四年一〇月二七日ころ福島医大を訪ね、遠藤晃、五十嵐哲世、酒井隆樹ら赤軍派福島地区所属の者に対し、一月六日に決行するものであるとして本件計画を打ち明け、襲撃には鉄パイプ爆弾を使用するなど詳細な説明を行なつて同人らに大菩薩峠の軍事訓練に参加するよう呼び掛け、更に、指示を受けて同月三〇日弘前市に赴き、本件鉄パイプ爆弾一七本を受け取つて持ち帰り、翌一一月の二日には前記上野ステーシヨンホテルで塩見ら幹部に会い、襲撃計画の更に詳細な説明を受けるなどした後、別の新任務を帯びた大桑隆と別れて、前示のように、同月四日午後三時ころ本件鉄パイプ爆弾を携えて福ちやん荘に到着し、これを被告人中野らに手渡したもので、救対名簿にも所要の記入をなし、同日夜の会議に出席しているほか、同日昼の訓練に参加しなかつたものの、第四中隊長に指名されていたことの各事実が認められる。

これによれば、被告人大越は、赤軍派内で相当の地位にあり、中央の幹部らの指示を受けて本件計画の実現を意図していたことは明らかであり、原判示の同被告人に対する罪となるべき事実については、その自白の有無にかかわらず、所論に関する点を含め、優に肯認できるものといわざるを得ない。

4、被告人福田及び同日浅について

所論は、要するに、右の被告人両名について、三、四日の夜の会議及び四日の軍事訓練等に参加し、原判示の犯意を有するに至つたことを認めさせる証拠はない、というのである。

しかし、右の被告人両名は、いずれも五日朝福ちやん荘で他の者らとともに逮捕されたものであつて、救対名簿にも所要の記入があり、部隊編成表(符四〇)にも変名で記載があり(被告人福田→丸井、同日浅→来島)、両名とも、原、当審を通じ、犯意の点は別として、三、四日夜の会議及び四日昼の訓練の出席・参加を否定した供述は見当らない。むしろ、被告人福田は、原審で訓練に参加したことを肯定し、当審公判でも、三日に福ちやん荘に登つたことを認め、同日夜の会議に出席したことを前提にして供述を進めていることが窺われる。また、被告人日浅も、当審公判で、三、四日の夜の会議、四日昼の訓練に出席・参加したことを肯定して供述をしていることが認められる。

加えて、被告人福田については、関係証拠とくに被告人大久保の原審第四五回公判供述、検察官に対する武田充の昭和四四年一一月一四日付(謄本)及び大川保夫の同月一六日付(謄本)各供述調書によつても、被告人福田が三日から福ちやん荘における集団に参加していたことは明らかである。また、被告人日浅についても、関係証拠とくに検察官に対する被告人石井こと博田の昭和四四年一一月一四日付及び二〇日付、太田敏明の同月一六日付、河上清の同月一七日付(謄本、三~六項)、上条史夫の同月一七日付(謄本、一七~三一項)及び二一日付(謄本、七~九項)並びに前野正彦の同月一六日付各供述調書によれば、被告人日浅もまた三日から福ちやん荘の集団に参加していたことは明らかである。

右の諸事情に加え、叙上の諸論点で判示したところを綜合すると、被告人福田及び同日浅についても、原判示の各罪となるべき事実は、犯意の点を含め十分に肯認することができる。

五、その他、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査しても、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認及びこれに関連・付随した法令解釈適用の誤りも認められない。

当裁判所は、事案の性質等を考慮して、情状関係の証人を別として、弁護人申請の証人として八名を採用したほか(但し、大川保夫は宣誓及び証言を拒否、西田政雄は弁護人において撤回・取消)、終始公判に出頭しなかつた被告人工藤以外の全被告人について本人質問を実施し、慎重に所論の当否を検討したのであるが、右証人のうち、けつきよく証言に応じ、本件の共犯者でもあつた渡辺允春・劉世明・田中美樹・前野正彦らの各供述も、必ずしも、すべての点で所論に添うものであつたとも認められず、被告人らの当審各公判供述と合わせ考慮しても、いまだ原判決の認定ないしこれを是認した当裁判所の叙上認定・判断を左右するに至らない。

各論旨はいずれも理由がない。

(全事件)

控訴趣意第六点量刑不当の主張について

論旨は、被告人中野を懲役六年に、同松平及び同八木を各懲役五年六月に、同大久保及び同森を各懲役四年に、その余の被告人らを各懲役三年にそれぞれ処した原判決の量刑は、うち被告人工藤・同重松・同日浅・同若林・同深尾・同福田及び同穂積について各四年間その刑の執行を猶予しているものの、いずれも重きに過ぎて不当である、というのである。

よつて、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、本件各事案の内容は前示のとおりであつて、これにつき原判決が「量刑の事情」の項で詳細に認定・説示したところは、当裁判所も概ね相当としてこれを是認することができる。

とくに、全事件に共通していえることは、各被告人らにおいて、集団の力を背景に兇器を用いて暴力で自己の主義主張を貫徹しようとしたことである。このような目的実現のために手段を選ばぬ所業は、法秩序を無視し、これを根底から破壊しようとするものであつて、平和的民主主義に対するいわれなき挑戦であり、その前提となる主義主張の当否を問わず厳しく指揮されなければならない。ことに、大菩薩峠事件は、爆弾を主要兇器として敢行を企図したものであつて、爆弾が人身や財産に対し多大の破壊力を有し、不測の損害を及ぼすものであることや、その他各犯行の性格・規模・態様・社会に対する影響等諸般の事情にかんがみみると、その犯情は甚だ悪質といわざるを得ない。被告人らの本件所為に対し、世情を憂うるのあまり血気にはやつてした若者の無思慮な行動に過ないとして寛容な態度をとることは、健全な国民常識に照しても、相当でない。

もとより、大菩薩峠事件について、事前に計画が発覚して逮捕されたためとはいえ、各犯行が、実質的には、被告人らの企図した首相官邸襲撃占拠にとつて、その準備・共謀等の段階に止まつたことは所論のとおりであるが、もともと本件はかかる段階における被告人らの行為について、その刑責を問わんとするものであつて、右所論の点を考慮に入れても、前示の諸事情に照らすと、被告人らの刑責は重大といわざるを得ない。更に、以下各個人別の情状について検討する。

被告人中野は、前示のように、大菩薩峠における集団内で被告人八木とともに最高の地位にあつて、主謀者としての刑責は免れがたいうえ、前記東京医科歯科大学事件についても、数百名の共犯者とともに、同大学の付属病院に侵入して病院の一部を占拠し、その診療業務を約二二時間にわたつて不能にし、また鉄パイプなどの兇器を準備し、警備の警察官の職務執行を妨害し、その中にあつて指揮者の役割を果たしているものであり、この事件の犯情も決して軽視を許されるべきではない。公判係属中、医師の資格を取得する機会を与えられ、同様に医業に携わりながら、右の病院侵入等に言及して謝罪の意を示すこともなかつたのであつて、この一事に徴しても自ら関連した一連の事件について、心底から反省しているものとは到底認められない。被告人には、七回にわたる公務執行妨害・兇器準備集合などの検挙・起訴猶予歴のほか前科としていわゆる公安条例違反により二回罰金刑に処せられていることなども無視できないところであつて、原判決や所論の指摘する同被告人に有利な事情を十分に斟酌しても、同被告人に対する原判決の量刑が不当に重いとは認められない。原判決後、京都市内の石野外科病院に勤務し、妻子ある家庭を営んでいて、有為の才能を医業に生かし、もつて社会に寄与する途の残されていることなどを考慮に入れても、右の刑を減ずべきものとは思われない。

被告人八木は、同中野とともに大菩薩峠における集団内で最高の地位にあつて、犯行を主謀主導した者で、昭和四〇年に建造物侵入罪により懲役二月・二年間執行猶予付に処せられた前科があることなどにかんがみると、その刑責は重く、同被告人に有利な事情を十分に斟酌しても、原判決の量刑が不当に重いとは認められない。昭和五三年に入つて園芸関係の会社に就職し、また同年一月赤軍派から離脱した旨の上申書を提出するに至つたこと、その他妻子のある家庭の事情などを考慮に入れても、いまだ右の刑を減ずべきものとは思われない。

被告人松平は、大菩薩峠における集団において被告人中野及び同八木に次ぐ地位にあつて、その意を受け、三、四日の夜の会議及び四日昼の訓練で中心となつて積極的に指示・説明・指揮などに当たつたほか、福ちやん荘参集前の計画・準備の段階から関与していたもので、被告人中野及び同八木に匹敵すべき役割を果していたことは疑いの余地なく、前記西五反田派出所事件及び中野坂上事件(一部)においても、主導者の一人として関与していて、その刑責は重く、原判示の確定裁判二件(兇器準備集合、住居侵入、強盗予備)のほかに、兇器準備集合などの検挙・起訴猶予歴が二回あることなども無視できず、被告人松平に有利な事情を十分に斟酌しても、同被告人に対する原判決の量刑が不当に重いとは認められない。原判決後も引き続いて、医院を開業している両親の下で、生活していることなどを考慮に入れても、いまだ右の刑を減ずべきものとは思われない。

被告人大久保は、大菩薩峠における集団内で被告人松平と並ぶかこれに次ぐ地位にあつて、各会議及び訓練の場で指示・説明・指揮にあたるなどして積極的に犯行を主導したほか、福ちやん荘参集前の計画・準備の段階でもこれに関与していたもので、その刑責は重く、原判示の確定裁判二件(兇器準備集合、強盗予備)のほかに、いわゆる公安条例違反の検挙・起訴猶予歴が三回あることも無視できず、原判決や所論の指揮する有利な事情を十分に斟酌しても、被告人大久保に対する原判決の量刑が不当に重いとは認められない。同被告人の原判決後に結婚して一児を儲け、法律会計事務所に勤務して生活も比較的安定しているなどの事情を考慮に入れても、いまだ右の刑を減ずべきものとは思われない。

被告人森は、福ちやん荘参集前の会議にも出席するなどしていたうえ、首相官邸襲撃の中隊長に指名され、四日の山中における軍事訓練にも参加していたもので、ほかに前記西五反田派出所事件及び中野坂上事件(一部)に関与して相応の役割を果していることなどにかんがみると、その刑責は重く、原判示の確定裁判一件(兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物放火未遂)があることも看過すべきではない。原判決や所論の指摘する有利な事情を十分に斟酌しても、同被告人に対する原判決の量刑が不当に重いとは認められないし、同被告人においても原判決後、労災保険事務を代行する会社に勤務し、妻子のある家庭を営んでいるほか、住民運動にも従事して地域の信頼を得ていることなどの諸事情を考慮に入れても、いまだ右の刑を減ずべきものとは思われない。

被告人大越の大菩薩峠事件における関与行為及び役割については、すでに判示したとおりであつて、とくに鉄パイプ爆弾一七本を運搬して持ち込んだことなどにかんがみると、その刑責は重く、原判示の確定裁判一件(いわゆる公安条例違反、兇器準備集合、公務執行妨害、傷害)のほかに兇器準備集合の検挙・起訴猶予歴が一回あることも無視できず、原判決や所論の指摘する同被告人に有利な事情を十分に斟酌しても、同被告人に対する原判決の量刑が不当に重いとは認められない。同被告人において原判決後、大学生協職員として一応真面目に働いており、次第に実家への帰属を深めていることなどの諸事情を考慮に入れても、いまだ右の刑を減じ、または執行を猶予すべきものとは思われない。

被告人博田の大菩薩峠事件における関与行為や役割については、すでに判示したとおりであつて、中隊長指名の経緯に関する所論を考慮に入れても、同被告人の犯行における役割は軽視すべきでない。昭和四四年六月に兇器準備集合罪により懲役六月に処せられ、二年間その刑の執行を猶予され、その猶予期間中で言渡後数か月を経たのみであつたにもかかわらず、更に本件に及んだもので、その刑責は重く、原判決や所論の指摘する同被告人に有利な事情のほか、所論の強調する共犯者田中美樹に対する科刑との均衡につき慎重に考慮しても、同被告人に対する量刑が不当に重いとは認められない。同被告人において、原審保釈後、書店店員を経て自動車製造会社に就職し、原判決後も引き続いて真面目に勤務しており、昭和四八年に結婚して二児を儲けていること、妻の病弱などの諸事情を考慮に入れても、いまだ右の刑を減じ、または執行を猶予すべきものとは思われない。

その余の被告人らについては、大菩薩峠における集団内の地位、本件各犯行に関与した程度、その役割その他諸般の事情にかんがみると、いずれも相応の刑責は免れず、原判決や所論の指摘する右の各被告人らに有利な事情を十分に斟酌しても、同被告人らに対する原判決の量刑が不当に重いとは認められない。また、右の各被告人について、原判決後の生活状態、家庭の事情などを考慮に入れても、いずれも執行猶予付の右各刑につき更に、これらを減ずべきものとは思われない。

各論旨はいずれも理由がない。

(結論)

よつて刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文、一八二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村治信 小瀬保郎 南三郎)

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